トップページ > てんかんの治療
内容
- てんかん発作をみたら
- 舌を噛む?
- まず、時計をみて、落ち着く
- てんかん治療
- 対症療法としての抗てんかん薬治療
- 抗てんかん薬の減量中止
- てんかん発作消失よりも生活の質の向上
- 副作用恐怖症
- 急激な断薬の危険性-反跳現象(リバウンド)
- 抗てんかん薬の種類
- 経験的治療戦略
- 血中濃度
- 定常状態
- 薬剤耐性 tolerance
- 単剤治療からはじめる
- 難治てんかんへの対応
- 外科治療
- 外科治療の対象
- 内側側頭葉てんかん
- 器質病変が検出された部分てんかん
- 器質病変を認めない部分てんかん
- 一側半球の広範な病変による部分てんかん
- 失立発作をもつ難治てんかん
- 附) 迷走神経刺激
- 正常であることの重荷(Burden of normality)、
よくなったことの重荷(Burden of Wellness) - 食事療法(ケトン食療法)
- 発展途上のてんかん治療
- 参考資料
3年前、夫と一歳になる双児の子どもたちとともに空港のレストランで食べていたとき、はじめて発作が起きた。そして、この時、私の人生は混沌の奈落の底に落ちた。その時起きた発作、そして、その後、何度となく繰り返し起きた発作の数々。しかし、発作そのものは問題ではない。発作のさなか、わたしは意識がなく、何も知らないのだから。問題は、発作と発作の間。毎日、頭の中は幾度となく繰り返される同じ疑問であふれかえる。今日は、発作なしでやっていけるかしら?子どもたちは大丈夫かしら?なぜ、こんなことが、よりによって、わたしの身に降りかからなくてはいけなかったの?子どもたちもてんかんを発症するのかしら?昔のように元気がでてこないのは、なぜ?いつかは、こんなこともなくなるのかしら?
原発性全般てんかんの26歳主婦
Daniel H. Lowenstein. Pathways to discovery in epilepsy reserch: Rethinking the quest for Cures. Epilepsia 49: 1-7, 2008
発作がなくなったからといって、すぐに歩き出せるわけではありません。正常であることの重荷(Burden of normality)、よくなったことの重荷(Burden of Wellness)があるのです。発作がなくなったあとも、家族、医療、福祉が見守ってあげなくてはなりません。
日本てんかん学会元理事長 八木和一先生
もう20年以上も前のことですが、てんかん発作を起こしたお子さんが口の中を血だらけにして救急車で病院に運ばれてくることが何度もありました。発作で舌をかんだと思われるかもしれませんが、違います。舌をかむといけないというので、お母さんが口の中に箸やスプーンを入れようとしたためでした。そのため、口の中の粘膜が傷つき、出血したのです。
痙攣中、ものすごい力で歯を噛みしめることがあります。そうなると、簡単には口の中に箸やスプーンを入れることはできません。それを何とかこじ開けようとした結果がこれです。同じ頃、指を血だらけにしたお母さんが、けいれんを起こした子供さんを連れてみえたこともあります。舌をかまないよう、指で口をこじ開けようとしたのです。
当時、てんかん発作中に舌をかむことがあるので、割り箸やスプーンを口の中に差し込んで舌をかまないようにしろ、と書いた本が、どうやら、あったようです。看護婦さんでも、古い方は、痙攣というと舌圧士を患者さんの口に突っ込もうとしたものです。聞くと、看護婦さんの教科書にそうしろと書いてあったとのことでした。授業でもけいれんのときには舌圧士を入れるよう、教えられたそうです。
なぜ、そんなことが看護婦さんの教科書にまで書かれるようになったのか、経緯はわかりません。しかし、さすがに最近の看護師さんの教科書には、そんなことは書かれていないようです。
たしかに、きわめてまれに、てんかん発作で舌をかむことはあります。しかし、舌をかむのはてんかん発作が始まった直後がほとんどです。てんかん発作に気づいて、舌をかまないようにしても、手遅れです。むしろ、口にいろんなものをつっこんで、舌をのどの奥に追いやってしまい、窒息させてしまうことの方がよほど危険です。そこまでいかなくても、先ほどのお母さんたちのように、無理やり箸やスプーンやフォークを歯の間からこじ入れようとして、歯ぐきや口腔粘膜を傷つけ、口の中を血だらけにしてしまったり、指をねじこんで噛まれてしまったり、いずれにしろ、ろくなことはありません。
てんかん発作で舌を噛む、という神話は、どうやら、万国共通のようです。海外におけるてんかんにかんする意識調査でも指摘されています。しかし、痙攣のとき、口の中に入れないように、というのも、世界中のてんかん専門医が必ず口にする注意事項なのです。
てんかん発作を引き起こす脳内の異常電気活動は、一旦、発生すると、てんかん発作を押さえ込む薬を急速に静脈内に入れない限り、途中で止まることは、まず、ありません。しかし、この異常放電は脳の抑制機能によって、ほとんどが、数分以内に勢いを失い、消失します(発作を停止させる脳の自己制御機構の実態についてはまだよくわかっていません。異常放電による激しいエネルギー消費によって脳が酸性に傾くことが抑制神経細胞群を活性化させるなどといった説が最近提唱されていますが、まだ、十分に検証されていません)。
逆に、何かしたからといって発作を止めることもできません(ただし、てんかん発作に「慣れた」人の中には、てんかん発作が起きそうになると、つまり、前兆を感じると、発作が起こるのを何とか止めようとして、成功することがあるようです。つまり、単純部分発作から複雑部分発作や強直間代発作への進展を意識的に食い止めることができるようです。ことの性質上、実証は難しいですが)。
てんかん発作、とくに、突然叫んで、頭を後ろに反らせ、顔を歪め、口唇を震わせ、手足を硬直させる痙攣を目の当たりにすると、大声で名前を呼んだり、体を揺すったり、何とかして発作を止めてあげたくなります。しかし、残念ながら、これはあまり役に立ちません。むしろ、発作による異様な運動にさらによけいな動きを加え、危険です。
それよりも、まず、安全なところに寝かせてあげてください。衣服がきつそうであればゆるめてください。そして、吐物が喉に詰まらないよう、顔を横へ向けてあげます。
そして、あとは、何もしないでください。
激しい痙攣のときは、唇は真っ青、身体は硬直して、とても息をしているようにみえません。このまま死んでしまうのじゃないかと泡を食ってしまいます。しかし、けいれん発作だけで死ぬことはめったにありません。そのことを、頭の片隅にいれておいていただければ、いざというとき、少しは気持ちを落ちつけられるかと思います。
脳炎とか髄膜炎,脳内出血などでけいれんを起こして、不幸にして亡くなるかたがみえます。しかし、これは、脳炎や髄膜炎、脳内出血というきわめて重篤な疾患が死因であって、けいれんそのものが原因ではありません。
けいれんそのものが死に直結することがまったくないというわけではありません。しかし、きわめてまれです。
ただし、間接的にてんかん発作が死につながることがときとしてあります。
溺水です。
とくに、入浴中が危険です。ゆったりとした気分でお風呂につかっていると、気がゆるんで、てんかん発作が起きやすくなります。とくに、年頃の女の子ですと、お風呂にはいるとき、内側から鍵をかけてしまうことがめずらしくありません。しかし、これでは、いざというとき助けることができません。入浴中の発作が溺水死に直結してしまいます。てんかん発作が十分にコントロールされていない方は、原則として、誰もいない状況で一人だけでお風呂には入らないほうがいいでしょう。何かあったらすぐにお風呂に飛び込んで助け出す人がどうしても必要なのです。もし、それがかなわないのであれば、シャワーだけにしておくのが無難です。
入浴中に比べ、水泳中はてんかん発作による溺水死が少ないことが知られています。水泳中は、本人の気も張っていて、てんかん発作が起きにくいためでしょう。
このように、てんかん発作そのものが原因で死に至ることはまれです。そのことを頭に入れておいていただければ、てんかん発作を目撃したとき、すこしは、気持ちを落ちつけられるでしょう。
何もしないでください、といいましたが、痙攣を目撃したら、どんな発作なのか、よく観察だけはしてください。眼の位置や動き、表情、顔色、四肢の動き、意識の有無(呼びかけに反応するかどうか)を確認してください。何度も申しますが、その情報がてんかん発作かどうかを判断する重要な、そして、ときには、唯一の手がかりになります。
それよりも、てんかん発作をみたら、まず、時計を確認してください。
主観的時間と客観的時間の間で大きなずれが生じることは少なくありません。心理状態よって主観的時間が揺れ動くからです。同じ1時間でも、あっという間にすぎてしまうこともあれば、なかなか時間が流れず、2 時間にも3時間にも感じられることがあります。てんかん発作を目の前にすると、気が動転し、周りの情景も一変、あたかも時の流れが止まったように感じられます。10秒が1分に、1分が10分に、5分が1時間に思えてしまいます。そのような状況での客観的時間は、時計で確認するしかありません。発作の持続時間はてんかん発作かどうかを決めるうえでも、発作型を判断するうえでも、きわめて重要な情報です。
てんかんについて書かれた啓蒙書を開くと、たいてい、てんかん発作をみたら、まず、落ち着くこと、と書かれています。
しかし、実際に、けいれんを目の前にして冷静でいられるかといえば、これは、なかなかむずかしいだろうと思います。それまで普通にしゃべっていた家族や知り合いが、突然、目をつり上げ、表情を一変、真っ青になって奇声を発し、身体を硬直させるのです。そんな発作に遭遇すれば、慣れた医者でも、いささか不安になるものです。
こういう場合、何もしないで、ただ、呆然として、みているだけというのが一番いけません。動転し、焦り、不安が募るばかりです。そういうとき、何かほかにやることがあれば、少し、気が紛れます。時計をみて「まだ、たった20秒しか経っていない」と確認するのは、心を落ち着かせる一つの方策です。先に述べた、安全なところに寝かせるというのも、患者さんのためになることはもちろんのこと、その動作自体が、みている側にとっての精神安定剤になります。
てんかんの治療としては、現在、薬物治療、外科治療、食事療法の3つが行われています。
この3つは、いずれも、てんかん発作を繰り返し起こさないようにする治療です。
しかし、そうした一般的な治療に加え、てんかんの原因であるさまざまな病気(とくに、脳の疾患)への対応、そして、合併症への対策が大切です。とくに、運動障害、知的障害、精神障害に対する支援、対策は、てんかん診療において重要です。さらに、てんかんやその原因疾患によってもたらされる家庭生活、社会生活への悪影響を緩和するための福祉的対処、生活支援も必須です。てんかんを発症した中でどのような生活を送っていくかという視点に立つならば、訓練、合併精神症状の治療、福祉的対応はてんかん発作の再発防止以上に大事です。
しかし、ここでは、てんかん発作の再発を食い止める、一般的な意味でのてんかん治療、とくに、薬物治療に焦点を絞ってお話します。
現在、てんかん治療のほとんどは薬によって行われています。てんかん発作を起こりにくくする抗てんかん薬を服用し、てんかん発作の再発を防止するのです。てんかん薬物療法の有効率は結構高く、抗てんかん薬を服薬することによって、てんかんをもつ方の7~8割では、2年以上、てんかん発作がない状態を保つことができます。
てんかんをもっていらっしゃる方のご家族、あるいは、医療関係者、特別支援学校の先生、障害者施設の職員の方たちは別ですが、一般の方で、てんかん発作を目撃した経験をおもちの方はあまりみえないのではないでしょうか。私自身、てんかん診療に30 年以上たずさわっていますが、病院以外の場でてんかん発作をみたことはありません(病院外でてんかん発作を「目撃」した唯一の経験は、テレビのスポーツ番組でのものです。ラグビーの試合で、ボールを奪い合って選手同士が激突、頭を強く打った選手が、その後、痙攣しているのをカメラが写しだしていました)。てんかんが100人から200人に一人にみられるありふれた病気であることを考えると、日常生活の中でてんかん発作を目撃する機会がそれほど少ないのは不思議な気がします。しかし、おそらく、それは、薬によってほとんどの方で発作がコントロールされていることが一因と思われます。実際、まだ、抗てんかん薬治療が今ほど普及していなかった時代には、てんかん発作を目撃する機会は結構あったようです。小学校のクラスに一人はてんかんで倒れる子がいた、という話を大正生まれの母から聞いたことがありますが、昔はそんなものだったのかもしれません。
このように、抗てんかん薬は絶大な効果を発揮します。
しかし、抗てんかん薬はてんかんの原因そのものを治しているわけではありません。てんかん発作をおきにくくしているだけです。腫瘍、脳の瘢痕、脳奇形などてんかんの原因となる器質性脳病変、てんかん発作がおきやすい体質、遺伝的素因が抗てんかん薬でとりのぞかれるわけではありません。この意味で、てんかんの薬物療法は「対症療法」といえます。
このことは、たとえば、鉄欠乏性貧血の治療と比較して考えていただけると理解しやすいかもしれません。
鉄欠乏性貧血は、文字どおり、体内の鉄分が不足するために、鉄を原料としている赤血球が減ってしまう病気です。そこで、鉄欠乏性貧血の治療では鉄剤を服用していただきます。不足している鉄分をおぎなってあげるのです。鉄が補充されると赤血球の造血が急速に増加、貧血は解消します。この鉄剤服用という治療は、体内の鉄不足という根本原因を矯正するものですから、根治療法ということになります。
これに対し、原因はともかくも、とりあえず、輸血によって赤血球を補ってしまおう、というのが対症療法です。赤血球を補えば、どんな原因の貧血でも、いったんはよくなります。しかし、原因に対しては、何の対策も講じていません。このため、補った赤血球が消費されれば、また、貧血に逆戻りです。
たとえば、再生不良性貧血という病気があります。血液成分を造る骨髄が変調をきたしておきる重篤な疾患です。それほど重い病気でも輸血をすれば一時的に貧血は解消します。しかし、輸血によって骨髄の異常が改善するわけではありません。輸血を繰り返しおこなわなければ、すぐに貧血状態に逆戻りしてしまいます。
抗てんかん薬による治療は、この輸血に当たります。てんかん発作の根本的原因を治しているわけではありません。抗てんかん薬の服用を中止すれば、ふたたび、てんかん発作は起きやすくなります。そして、てんかん発作が再発します。

図1 標準的なてんかん薬物治療
てんかんの起こりやすさ(てんかん原性)が閾値を超えると、発作が起き、脳波上もてんかん放電がみられるようになる。これに対し抗てんかん薬の服薬を開始すると、発作が消失する。発作がない状態が数年続くと、てんかん原性が低下し、脳波も正常化する場合がある。すると、抗てんかん薬の服薬も中止できる可能性が出てくる。
てんかん発作がおこりやすい状態というのは、そうすぐにはなくなりません。ですから、てんかん発作がおこりやすい状態が続いている間は抗てんかん薬をのみ続けていただく必要があります。最低でも2年、たいていは数年にわたって毎日欠かさず服用しなくてはいけません。1年間発作がなかったから、もう治った、と思って服薬をやめてしまい、もし、そこで、発作が再発したら、それまでの1年の苦労は水の泡です。
発作頻度など、さまざまな要因によって異なりますが、一般的には、最低2年間、抗てんかん薬を飲み続け、その間、発作がなく、半年から一年ぐらいの間隔で記録した脳波で棘波などのてんかん放電がみられなくなれば、てんかんがおきにくくなったと考え、薬をゆっくり減量します。だいたい、これが、標準的なてんかんの薬物治療です(図1)。
しかし、これは、あくまでも原則です。例外はいくらでもあります。もっと短い治療期間ですむこともあれば、何十年と飲み続けなければいけないこともあります。そのすべてのケースをここで述べることは不可能ですので、個々の例については、主治医の先生にお聞きください(しかし、何年飲み続ければよいのか、正確に予測をすることは、主治医も、多くの場合、できません)。
てんかん発作が2ヵ月に一回起きていたならば、薬を飲み始めて最低3~4カ月発作がなければ、薬が効いている可能性がでてきます。ところが、一年に一回程度しか発作がみられなかった場合、薬が効いているかどうかは最低2年ぐらいみないと分かりません。抗てんかん薬を数年飲み続ける必要があるのは、このように、薬が本当に効いているかどうか確認するのに手間取ることも一因です。貧血であれば、赤血球が不足していないかどうかは血液検査で瞬時に分かるのですが、てんかんの場合、指標は、てんかん発作の有無しかありません。ですから、どうしても気長に待つしかないことになってしまいます(脳波も重要な指標にはなりますが、あくまでも補助的なものにすぎません)。
ただし、欠神発作のように一日に何十回と発作がある場合、薬によって発作が止まったかどうかはすぐわかります。その場合には脳波もみながらもっと早く、1-2年で薬を減量できることもありえます。
このように、薬が効いているかどうかを確認する期間は、薬服用前の発作頻度によって大きく変わります。
発作が消失し、薬が効いていることを確認しなければ、治療をそれ以上続けるべきかどうかは判断できません。そして、しばらく薬を飲み続け、脳波なども参考にしながら、てんかん発作のおこり易さが低下したかどうか少し様子をみることになります。それから、ようやく、徐々に薬を中止していきます。
ですから、抗てんかん薬の投与期間というのは、最低数年という原則はあるものの、一人一人異なり、個別に判断することになります。
一定期間、発作がなければ、徐々に薬を減量し、中止するといいましたが、本当に薬を中止してもいいかどうかの判断は、さまざまな要因が複雑に絡み合うため、困難です。専門医にとっても、その決定はむずかしく、ほとんどの場合、「正解」はないとさえいっていいぐらいです。たとえば、減量しても絶対発作が起きないと太鼓判を押せるのは、ほんの一部のてんかん症候群だけです。多くは、50%の確率で発作は再発しない、といった確率論的なお話しかできません。
まず、減量によってどの程度の頻度で再発がみられるかですが、これは、てんかんの種類によって異なります。しかし、だいたい、12%から66%ぐらいといわれています。
つまり、すくなくとも4割弱の確率で薬を中止しても発作が再発しないわけです。
しかし、この4割弱という数字を高いとみるか、低いとみるか、その評価は人によってさまざまでしょう。てんかん発作再発が生活に及ぼす影響が患者さんによって異なるからです。社会に出て普通に働いている人が仕事中に痙攣発作が起こした場合、その人の社会生活にはかりしれない影響を及ぼします。また、車を常時運転する人にとって、てんかん発作の再発はあってはならないものです。一方、まだ小学生の子が、夜間、発作の再発をきたしたとしても、学校生活にあまり支障をきたさないかもしれません。
このように、抗てんかん薬の減量中止にかんしては、多くの、しかも、不確定な要因を考慮する必要があります。それらをすべて、ここで述べることはとてもできません。具体的には、主治医の先生と相談しながら決めていただくことになります。
したがって、以下は、あくまで、さまざまなてんかんの患者さんを一括りにしてみた場合の、抗てんかん薬の減量中止にかんする概略です。
まず、どのくらい治療を続けたら減量を考えるべきか、です。先ほども申しましたが、これは、てんかんの種類によって異なります。しかし、一般的には、2年というのが一つの目安になっています。2年間、薬を服用していただいて、発作がなければ、減量を考えはじめます。この2年という期間ですが、一部の小児てんかんをのぞいて、はっきりした根拠があるというわけではありません。しかし、2年間は何はともあれ治療を続け,それから、まず、減量について考えよう、というのが世界中のてんかん専門医の共通認識になっています。
減量を考えるに際して、一番信頼がおける判断材料は、てんかんの種類です。たとえば、中心側頭部に棘波をもつ良性小児てんかん(別名、ローランドてんかん)を代表とする小児特発性部分てんかんの場合、2年発作が止まっていれば、薬を減量しても、発作はほとんど再発しないことがわかっています。一方で、若年性ミオクロニーてんかんは薬の減量によって、まず間違いなく、再発します。
このように、減量してもよいもの、すべきでないものがはっきりしているてんかん症候群があります。しかし、再発率についてここまで明確にいえるてんかん症候群はほとんどありません。実質的には、この二つだけといってもいいくらいです。それ以外のてんかんについては、たとえば、再発率40-50%といった曖昧な数字をいうのが関の山です。中にはそうした再発率さえもよくわからないことがあります。さらに、どのてんかん症候群に分類したらいいかわからないてんかんを有している患者さんもたくさんみえます。
しかし、その場合でも、減量に際しての発作再発率に影響を及ぼすさまざまな要因がわかっていますから、それらを参考にする方法がないわけではありません。
たとえば、小児期発症のてんかんに比べ、思春期以降発症のてんかんは再発率が高いことが知られています。
また、発作型では、ミオクロニー発作、あるいは、強直間代発作がみられるてんかんで再発率が高いとされています。
さらに、知能障害や運動障害など脳に何らかの器質性異常が疑われる症状をおもちの方、治療開始後にもてんかん発作がみられた方、発作コントロールに2種類以上の抗てんかん薬併用療法を要した方、減量開始時にまだ脳波異常が残存している方では、減量によって発作が再発しやすいことがわかっています。
一方で、5年以上発作がみられなかった方では発作再発率が低いことが知られています。
しかし、いずれの場合も確率論的なことしかいえないわけで、結局、一部のてんかん症候群をのぞいて、抗てんかん薬の減量は一種の「賭け」にならざるを得ません。
減量については、さらに、気がかりな点があります。
不幸にして、薬の減量によっててんかん発作が再発した場合、とりあえず、減量以前に発作をコントロールしていた薬をもう一度服薬していただくことになります。しかし、その場合、以前と同じように、その薬によって発作がコントロールされるのかという点がやはり気になります。
さいわい、これについては、約8割が以前の薬で再び発作がコントロールされることがわかっています。
しかし、あとの2割では、残念ながら以前のような寛解状態には戻れず、もとの量の薬を飲んでも、発作がくり返しみられることになります。ただ、そうした減量後に難治な経過をたどる方の中には、内側側頭葉てんかん、皮質形成異常のように、てんかんの起こりやすさがしだいに増大(痙攣域値が低下)していくと推定されるてんかんも含まれているとすいてされます。こうしたてんかんは、減量せずに薬を飲み続けたとしても、遅かれ早かれてんかん発作が再発した可能性があります。実際、2年間発作がない状態が続いたあとさらに薬を飲み続けても、1-2割の方は、どこかの時点で発作が再発することがわかっています。
減量を始めると、どの時点で発作が再発しやすいか、というのも知っておきたいところですが、これについても、ある程度はわかっています。
てんかん発作の再発の約半数は減量開始後半年以内に、9割は減量開始後1年以内にみられます。薬の減量はだいたい半年から一年ぐらいかけてゆっくり行います。ですから、再発の大半は減量中に起きる、ということになります。これに対し、減量後2年以上たってからの再発はまれです。ですから、減量が終わって、全く薬を飲まなくなって1-2年たてば、とりあえず一安心、ということになります。逆に、薬を減量中、もしくは、薬を中止してから半年以内は用心が必要で、たとえば、車の運転などは控えていただいたほうがいいでしょう。
てんかん発作が2回以上繰り返しみられ、生活に支障があるならば、抗てんかん薬の服用を考慮する - これが、てんかん治療の原則です。
しかし、2回以上発作がみられたら、ぜったい薬を飲まなくてはいけない、というわけでもありません。
てんかんに限りませんが、病気になると、その病気特有の症状が現れます。しかし、治療の最終目標は必ずしもそうした症状を完全に消し去ることではありません。病気や症状が通常の生活を阻害することを食い止めること、これが、目指すべき目標です。これは、てんかん治療でも同じです。てんかん発作を抑える薬を飲むかどうかは、てんかん発作の日常生活への影響、薬の副作用など、さまざまな要因を考慮して決定されます。なんとしてでも薬を飲んで発作を止めなくてはならない、というわけではありません。
たとえば、生まれて初めててんかん発作が一回だけみられた場合、通常、すぐには抗てんかん薬を服用していただくことはありません。
もう二度とてんかん発作が起きない可能性もあるからです。
初回けいれんがみられた患者さんのうち、半数近くは、薬を飲まなくとも、二度とてんかん発作を起こさないことがわかっています。ですから、てんかん発作が一回みられたからといって、むやみに抗てんかん薬を服用すべきでないことは明らかです(ただし、てんかん発作の原因、脳波所見などによっては、まず間違いなく発作が再発すると予測できることもあります。その場合には、ご本人やご家族に充分ご説明し、希望されれば抗てんかん薬を服用していただきます)。
では、てんかん発作が2回、3回と繰り返した場合は、薬を飲むのかというと、じつは、その場合にも、抗てんかん薬による治療を見合わせることがあります。
たとえば、入眠期に口が歪むような発作が数十秒みられるだけで、すぐに、再び寝入ってしまい、翌朝はケロッとしている、という予後の良い小児てんかん症候群が知られています。このてんかん症候群では、治療しても、しなくても、大人になってからの知的能力に差がないことが判明しています。発作は寝ているときだけで、生活にほとんど影響がなく、しかも、長期的な影響もないわけですから、当然、治療の必要はありません。
このように、てんかん発作が繰りかえしみられるからといって、必ずしも、全員、治療しなくてはならないということはありません。てんかん発作そのものではなく、生活全体をみて、治療方針は決定されます。
このような視点は、難治てんかんにおいても大切です。
さまざまな抗てんかん薬を試しても、20~30%の患者さんでは、残念ながら、発作を完全にコントロールすることができません。そうした患者さんの一部では、あとで述べる、外科治療やケトン食療法によって発作が消失する可能性があります。しかし、そのような非薬物療法の対象にならない難治てんかん、あるいは、非薬物療法によっても発作がコントロールされない難治てんかんでは、てんかん発作が止まらない状態が長年続くことになります。こうした難治てんかんの患者さんでは、てんかん発作を繰り返す中で、できる限り通常の生活をおくることができるよう、治療戦略を練り直す必要があります。いうまでもありませんが、治療によって治療前より生活の質が落ちてしまっては、なんにもなりません。
てんかん発作を100%コントロールすることは、じつは、可能です。
薬を大量につかえば、いかなる発作も止めることができます。大量の薬で脳の神経細胞活動をゼロ近くにまで押さえ込み、神経細胞が異常放電を形成できなくしてしまうのです。ただし、脳の機能も無に等しい状態になります。当然、通常の日常活動は不可能です。発作は起きませんが、一日中眠ってばかりということになります。
それが治療の名に値しないことは、いうまでもありません(ただし、きわめて難治なてんかん重積発作では、まれに、そうした方法をとることもあります。しかし、あくまでも、緊急避難的処置です。発作の再発を抑える通常のてんかんの治療では、もちろん、そんなことは論外です)。
このような極端な例では、話もわかりやすいのですが、実際には、もっと微妙な判断が必要になります。
薬物治療には薬の副作用という負の部分がつねについてまわります。しかし、そのマイナス面を帳消しにしてくれるだけの「治療効果」があるのであれば、その「治療」を選択することになります。
しかし、この比較が容易ではありません。発作による不利益と副作用による不利益が性質の異なるものだからです。異質なものを比較することはできません。その上、薬による不利益であれ、発作による不利益であれ、計量化することはできません。患者さんや保護者の方の価値判断によって不利益の「尺度」も違います。
発作を完全にコントロールできないのであれば、次善の策として、生活にもっとも支障がある発作に狙いを定めます。たとえば、睡眠時発作と覚醒時発作がある場合には、覚醒時発作に狙い定めて、薬を調節するといった具合です(ただし、それさえも容易な業ではありませんが)。
そして、ともかくも、それで、うまくいけば、一応は、一歩前進です。
しかし、そうした治療戦略もうまくいかないことがしばしばです。そうなると、副作用のことは二の次にして、発作をとにかくなくそうとする方向に傾いてしまいがちです。こうして、発作はある程度コントロールされたものの、眠気で学校に通っていても授業中ずっと寝ている、という状態になってしまいます。
結局、こうした厳しい状況では、患者さんにとって何が優先されるか、そのときそのときで悩みながら、試行錯誤していくしかありません。
しかし、だからといって、薬の副作用を過度に恐れることも考えものです。
たしかに、どんな治療にも、副作用はつきものです。そして、副作用によって、治療前に比べ、生活の質が落ちてしまうのは論外です。それが、治療の名に値しないことは明らかです。しかし、薬物療法においては、多くの場合、副作用は、無視できる程度のものがほとんどです。もし、副作用がみられたとしても、何とか対処できるほど軽微で、薬の効果による生活の質の改善による利点が圧倒的に勝っているものです。そうでなければ、そもそも、その薬が「治療薬」として認定され、市場にでてくるはずがありません。とくに、古い抗てんかん薬は、副作用に比べて、てんかん発作抑止効果とそれによる生活改善効果が圧倒的に勝っていたからこそ、長い年月を生き残ってきたのです。
そのような薬を、副作用を過度に恐れるあまり、あきらめてしまうのは、もったいないことです。
過度の副作用恐怖症に陥らないことも大事です。
副作用に関連して、もう一つ、ご注意申し上げます。
前にも言いましたように、抗てんかん薬は年単位で飲み続ける必要があります。ところが、発作のない状態が一年も続くと、発作の恐怖よりも副作用の不安が勝ってきてしまい、自己判断で服薬を突然中止される方が、まれにみえます。
しかし、これは、きわめて危険です。
急に断薬すると、ひどい発作が起きるかもしれないからです。
フェノバルビタールのような薬でよく知られた事実ですが、急激な断薬によって、制御不能のけいれん重積に発展するおそれがあるのです。抗てんかん薬によって長期にわたって発作を抑制していたため、押さえがなくなると、反動で、いつも以上のひどい発作に発展してしまうのです。抗てんかん薬によって押さえつけられ押し込められた脳内の「てんかん」エネルギーが解き放たれるのです。反動によってはじけ跳ぶ現象ということで、反跳現象(リバウンド)と呼ばれています。コントロール不能となった発作によって、最悪の場合、死に至るおそれさえあります。くれぐれも、自己判断で突然、薬を中止することだけはおやめください。
てんかん発作を抑制する薬、抗てんかん薬は現在、16品目ぐらいが日本で市販されています(日本以外の国では、これ以外に数種類、新たな抗てんかん薬が認可され服用可能となっています。しかし、日本では、さまざまな理由から、諸外国に比べ抗てんかん薬の種類が少ない状態がここ10年ぐらい続いています)。さらに、日本では向精神薬として認可されているクロラゼプ酸(メンドン)、クロキサゾラム(セパゾン)などのベンゾジアゼパム系薬剤も抗てんかん作用を有していることが知られており、ときとして、抗てんかん薬として使われることがあります(ただし、日本においては抗てんかん薬としての保険適用が通っていませんから、たとえば、90日といった長期処方はできません)。さらに、チオペンタール(ラボナール)、チアミナール(イソゾール、チトゾール)などのバルビツレート系麻酔剤やミダゾラム(ドルミカム)、抱水クロラール(エスクレ座薬、注腸キット)が、発作の頓挫やけいれん重積の治療に使われています。そうした薬品に臭化カリウム(ブロム)などを含めると、現在日本で利用可能なてんかん治療薬は20種類以上にのぼることになります。しかし、このうち、よく使われている抗てんかん薬というのは、せいぜい10種類ぐらいです。
薬は化学構造、作用機序などによってさまざまなカテゴリーに分類されます。そして、抗てんかん薬でも、一応、化学構造、作用機序を基にした分類が試みられています。
てんかん発作は神経細胞の異常興奮によって起こります。抗てんかん薬はそのてんかん発作を起こりにくくするわけですから、神経細胞の興奮性に何らかの影響を及ぼしているであろうことは容易に想像がつきます。この神経細胞の興奮性というのは、神経細胞の細胞膜がどのような状態にあるかによって規定されます。そして、最近、抗てんかん薬がその神経細胞の細胞膜にさまざまな影響を及ぼすことがわかってきています。
神経細胞は細胞膜を通じてナトリウム、カリウム、塩素、カルシウムといった電解質を吸い込んだり、はき出したりして電流を発生させ、電気信号を伝達しています。そうした電解質の出入りは秩序だったかたちでおこなわれる必要があります。このため、さまざまな方法で厳密に制御されています。しかし、万が一、その制御に狂いが生じますと、電解質が無秩序に神経細胞膜に出入りするようになってしまいます。こうして、神経細胞が一斉に昂奮状態になり、異常電流(てんかん発射)が生じ、てんかん発作が起きるのです。
ナトリウム、カルシウムなどの電解質は細胞膜上にあるイオンチャンネルという関門を通じて細胞の内外に出入りしています。細胞膜の興奮性はこのイオンチャンネルによって大きく左右されます。イオンチャンネルが簡単に電解質を通過させてしまうと、細胞の興奮性も高まってしまいます。実際、重症乳児ミオクロニーてんかんをはじめとしてさまざまなてんかんにおいてナトリウムのイオンチャンネル異常がみつかっています。
さらに、神経細胞の興奮性はグルタミン酸、γ-アミノ酪酸(GABA)という神経間の情報伝達を行う神経伝達物質によっても規定されています。
グルタミン酸は味の素の原料ともなる「うま味」のもとのアミノ酸です。このグルタミン酸がグルタミン酸受容体とよばれる神経細胞膜の受け皿にくっつくと、神経細胞の興奮性を高めます。一方、γ-アミノ酪酸はグルタミン酸のカルボキシル基がはずれることによって形成されるアミノ酸で、神経細胞に接合して神経細胞の興奮性を下げます。GABAにも神経細胞膜上にその信号を受け取る受け皿、GABA受容体があります。このように、神経細胞の興奮性はグルタミン酸やGABA、およびその受容体によっても規定されます。
抗てんかん薬は、こうしたイオンチャンネル、グルタミン酸受容体、GABA受容体にさまざまな形で影響を及ぼすことが知られています。そして、それによって、抗てんかん薬作用を発揮しているのだろうと推定されています。
たとえば、欠神発作がみられるマウスではカルシウムチャンネルの機能異常があることがわかっていますが、欠神発作に有効なエトサクシミドは主としてカルシウムチャンネルに作用します。そして、同じようにカルシウムチャンネルへの作用を有するバルプロ酸も欠神発作の特効薬として知られています。このように、カルシウムチャンネルによって、エトサクシミドやバルプロ酸の欠神発作への薬理作用がある程度説明可能なのです。
この調子で、すべての発作型やてんかん症候群にイオンチャネル異常や受容体異常がみつかり、そして、すべての抗てんかん薬の作用機序がはっきりすれば、合理的なてんかん薬物療法ができます。
ところが、話はそれほど簡単ではありません。
表1でお分かりのように、特定のイオンチャンネル、受容体にのみ特異的に働く抗てんかん薬は、じつは、あまりありません。ほとんどが、さまざまな部位で働くことが知られているのです。
一方で、特定のイオンチャンネル、受容体にのみ異常があることが確認されているてんかん症候群や発作型もほんのわずかしかありません。ほとんどのてんかん発作、てんかん症候群では、特定のイオンチャンネル異常、受容体異常は、まだ、みつかっていないのです。このため、イオンチャンネル、受容体への薬理作用だけで抗てんかん薬を分類することはできませんし、発作型別、てんかん類型別の治療も不可能です。
このように、残念ながら、現時点では、てんかん発作の発生機序、抗てんかん薬の作用機序をもとにした合理的な抗てんかん薬の選択は、まだ、できません。
もちろん中には発作型によって、効く、効かないがはっきりしている薬もあります。たとえば、先ほど述べましたように、欠神発作に効く薬は限られています。現在日本で市販されているものでは、バルプロ酸、クロナゼパム、エトサクシミド、ラモトリジンが欠神発作の有効薬です。フェノバルビタールとかフェニトインといった薬は欠神発作には無効で、カルバマゼピンに至っては、逆に発作を増やすおそれさえあります。その一方で、エトサクシミドは強直間代発作といった痙攣性発作への効果が期待できないことも知られています。
薬の効き目という点から欠神発作によく似ているのがミオクロニー発作です。やはり、バルプロ酸、クロナゼパムなどがよく効きますが、フェノバルビタール、フェニトインは無効、カルバマゼピンは悪化のおそれがあります。ただし、エトサクシミドはミオクロニー発作に対して欠神発作ほどの効果は期待できません。
さらに、テレビてんかん、テレビゲームてんかん、図形てんかんといった、視覚刺激によって誘発される発作にたいしては、全般発作でも部分発作でもバルプロ酸やクロナゼパムがよく効くことが知られています。
このように、発作型やてんかん類型によって得手不得手のある薬がある程度知られてはいます。しかし、たとえば、同じ部分発作に対しては、相当数の抗てんかん薬が効くことが知られています。しかも、その中で、ある抗てんかん薬がもう一つの抗てんかん薬に比べ絶対的に優れているという確実な証拠もありません。
このように、てんかんの薬物治療を抗てんかん薬の作用機序に応じて戦略的に行うことは現時点ではできません。ですから、てんかんの薬物治療には、かなり、「でたとこ勝負」的な側面が残っています。実際に使ってみないと効くかどうかわからない、というのが本当のところなのです。
表1 抗てんかん薬
薬剤名 (略語) |
商品名 | 成人常用量 小児常用量(mg/kg) |
半減期(時間) 定状状態到達日数(日) |
治療域(μg/ml) 蛋白結合率(%) |
作用部位 有効発作型 |
---|---|---|---|---|---|
フェノバルビタール (PB) |
フェノバール、ルミナール、 ワコビタール座剤、ルピアール座剤 |
50 - 150 2 - 5 |
20 - 130 14 - 21 |
10 - 25 45 - 60 |
GABA、INa、ICa PS、GTC、Ton |
プリミドン (PRM) |
マイソリン プリムロン |
250 - 1000 10 - 20 |
3 - 16 4 - 7 |
4 - 12 0 - 22 |
GABA、INa、ICa PS、GTC、Ton |
フェニトイン (PHT) |
アレビアチン、ヒダントール ジフェニールヒダントイン |
100 - 300 3 - 10 |
5 - 42 4 - 10 |
5 - 20 80 - 95 |
INa、ICa PS、GTC、Ton |
カルバマゼピン (CBZ) |
テグレトール レキシン |
200 - 1200 5 - 20 |
3 - 26 3 - 7 |
5 - 10 65 - 85 |
INa PS、GTC、Ton |
ゾニサミド (ZNM) |
エクセグラン | 200 - 400 4 - 10 |
24 - 60 10 -15 |
10 - 30 45 - 50 |
INa、ICa PS、GTC、Ton。 Sp |
バルプロ酸 (VPA) |
デパケン、エピレナート、 バレリン、ハイセレニン セレニカR |
500 - 2000 10 - 30 |
4 - 15 2 - 4 (5 - 7:徐放剤) |
50 - 100 85 - 95 |
ICa、IGluGABA Ab、My、PS、 GTC、 Sp |
ギャバペンチン (GBP) |
ギャバペン | 900 - 1800 30 - 40 |
4 - 7 2 |
2 - 20 0 - 3 |
GABA、ICa PS、GTC |
エトサクシミド(ESM) | ザロンチン エピレオプチマル |
500 - 1500 10 - 30 |
20 - 60 5 - 12 |
50 - 100 0 - 10 |
ICa Ab、My |
ラモトリジン (LTG) |
ラミクタール | 200-400(100-200*) 5-15(1-3*) |
7-20 (20-90*) 3-15 |
1 - 15 53 - 56 |
INa → IGlu、ICa PS、GTC、Ab、My |
トピラメート (TPM) |
トピナ | 100 - 400 3 - 9 |
12 - 30 3 - 5 |
3 - 12 13 - 17 |
INa、ICa、Iglu,GABA、ICAD PS、GTC、Ton、Sp、 My、Ab |
レベチラセタム (LEV) |
イーケプラ | 1000 ? 3000 10 - 40 |
6 ? 8 2 - 3 |
? 0 |
Synaps, ICa、GABA PS, GTC |
ジアゼパム (DZP) |
セルシン、ソナコン、ホリゾン ソナコン ダイアップ座剤 |
4 - 30 0.2 ? 0.7 |
8 - 60 3-10 |
0.2 - 0.5 96 - 98 |
GABAA-Cl Ab、My、PS、GTC、Ton、 Sp |
ニトラゼパム (NZP) |
ペンザリン ネルボン |
2 - 20 0.1 - 0,5 |
18 - 35 6 - 8 |
0.02 ? 0.2 85 - 89 |
GABAA-Cl Ab、My |
クロナゼパム (NZP) |
リボトリール ランドセン |
1 - 5 0.05 ? 0.2 |
20 - 60 5 - 10 |
0.02 ? 0.08 86 |
GABAA-Cl Ab、My、PS、GTC、Ton、Sp |
クロバザム (CLB) |
マイスタン | 10 - 30 0.2 ? 0.8 |
10 - 50 4 - 10 |
0。06 - 0。4 83 - 85 |
GABAA-Cl Ab、My、PS、GTC、Ton、Sp |
スルチアム (ST) |
オスポロット | 200 - 1000 5 - 10 |
2 - 10 < 5 |
1。5 - 20 30 - 45 |
ICAD、INa My、Sp、PS、GTC |
アセタゾラム (AZA) |
ダイアモックス | 200 - 750 10 - 20 |
10 - 20 2 - 5 |
8 - 20 90 - 95 |
ICAD Ab、My、PS、GTC、 Ton、Sp |
臭化カリウム** (KBr) |
臭化カリウム | 300 - 1000 10 - 80 |
192 - 336 40 - 50 |
750 - 1250 0 |
GABA、Synaps PS、sGTC、GTC |
*バルプロ酸併用時 **小児の難治てんかんにのみ認可
INa: 電位依存性ナトリウムチャンネル抑制、ICa:カルシウムチャンネル抑制、IGlu:グルタミン酸系抑制、GABA:ギャバ系賦活、
GABAA-Cl:ギャバA受容体-クロライドチャンネル、ICAD:炭酸脱水酵素阻害、Synaps:シナプス小胞タンパクに結合し、シナプス小胞放出を抑制
PS:部分発作、GTC:強直間代発作、Ab:欠神発作、My:ミオクロニー発作、Sp:攣縮発作、Ton:強直発作
しかし、だからといって、てんかんの薬物治療が、すべて、「でたとこ勝負《というわけではありません。
上で申しましたように、抗てんかん薬には発作症状によってある程度、得手上得手があることがわかっています。そこで、それを基盤として、さらに、実際の治療経験も加味して、薬の使用方法を決定する試みがなされています。
薬の使用経験から薬を選択する場合、ランダム化臨床研究(Randomized Control Study : RCT )による結果を参考にするのがもっとも信頼性が高いとされています。たとえば、はじめて部分発作をおこした患者さんをカルバマゼピンで治療する群とフェニトインで治療する群とに無作為に(くじ引きなどで)分け、両群での発作消失率を比較検討するのです。その結果、フェニトインの発作消失率がカルバマゼピンの発作消失率に比べ統計的にみて間違いなく高ければ、フェニトインを部分発作選ぶべきだと判断します。
しかし、この方法できちんとした結果を得るためには、発症年齢、性別、基礎疾患、合併症状などさまざまな要因を二つの群で同一にする必要があります。このため、膨大な数の患者さんの同意をえて、治験に参加していただく必要があります。しかも、通常使われている抗てんかん薬だけでも10種類前後あるわけで、そのすべての組み合わせについて比較検討するとなると、天文学的な数の患者さんの同意をえなくてはなりません。その上、ある薬が無効だった場合に次の薬はどれがいいかといった研究までこの方法でおこなおうとすると、気の遠くなるような数の研究が必要になります。
とてもできるものではありません。
実際、世界的にみても、抗てんかん薬治療にかんするランダム化臨床研究はほんのわずかしか行われていません。その結果だけを基に、てんかんをもつすべての患者さんについて薬物療法をおこなうことは、現時点では上可能です。
さらに、膨大な労力を費やしても、両者に統計的差が認められないこともありえます。実際、部分発作に対するフェニトインとカルバマゼピンの間には差がないという結果が出ています。ところが、この結果は、じつは、一人一人の患者さんにおける実態を反映していません。同じ部分発作であっても、ある患者さんにはフェニトインほうがよく効き、ある患者さんにはカルバマゼピンがよく効くということはめずらしくありません。同じ部分発作であっても、それをもたらす原因は千差万別ですから、ある意味、当然の結果といえるでしょう。いくら、年齢などをそろえ、同質の群で比較しても、個々の例においては、効き目は違って当たり前なのです。
このように、ランダム化臨床研究ですべての抗てんかん薬の効果を判定し順位を決めるのは上可能です。その上、その結果は個々の患者さんの実態を必ずしも反映していません。
そこで、最終的には、個々の医師の経験に頼ることになります。
というと、非科学的な、職人芸に頼っているように思われるかもしれません。たしかに、てんかんの薬物治療において、そういう面が残っていることは否定できません。
しかし、それだけではありません。
たった一人の医師だけの経験をもとにするとしたら、なるほど、かなり偏った治療が行われてしまうかもしれません。しかし、多数のてんかん専門医の経験を数値化し、統計的に処理すれば、かなり信頼性の高い治療情報をえることができます。職人芸を科学的に検証し、誰でも使えるように、公式化するのです。この方式のいいところは、ランダム化臨床研究では答えがでない治療上のさまざまな疑問にたいしても、ある程度、答えをだしてくれることです。表2にお示ししたのは、そのようにしてえられた、日本とアメリカにおける発作系別の推奨抗てんかん薬の一覧です。ラモトリジンなどの新薬が最近まで日本では認可されていなかったこともあって、ラモトリジン、トピラメート、オキカルバゼピンが、日本では吊前が挙がっていないなど,やや相違はみられますが、日米ともだいたい同じような薬剤を選択する傾向があることわかります。
ただし、この薬剤選択を金科玉条のように信じ込むのも考えものです。繰り返しになりますが、一人一人の患者さんにおいては微妙なところで違いがあります。表に挙げたような薬剤選択はあくまでも原則にすぎません。最終的には個々の患者さんに即して、試行錯誤によって薬をきめるしかないのは、先にお話したとおりです。
表1 抗てんかん薬
特発全般てんかん | 症候性局在関連てんかん | 症候性全般てんかん | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
強直間代発作 | ミオクロニー 発作 |
欠神発作 | 二次性全般化 発作 |
部分発作 | 強直間代発作 | ミオクロニー 発作 |
欠神発作 | 強直発作 | |
日本の専門家 | バルプロ酸 | バルプロ酸 クロナゼパム |
バルプロ酸 エトサクシミド |
カルバマゼピン フェニトイン ゾニサミド バルプロ酸 |
カルバマゼピン フェニトイン ゾニサミド |
バルプロ酸 クロナゼパム クロバザム |
バルプロ酸 クロナゼパム |
バルプロ酸 クロナゼパム |
バルプロ酸 クロナゼパム |
米国の専門家 | バルプロ酸 ラモトリジン |
バルプロ酸 | バルプロ酸 エトサクシミド ラモトリジン |
カルバマゼピン フェニトイン オキシカルバゼピン ラモトリジン バルプロ酸 |
カルバマゼピン フェニトイン オキシカルバゼピン ラモトリジン |
バルプロ酸 ラモトリジン トピラメート |
バルプロ酸 ラモトリジン |
バルプロ酸 ラモトリジン |
バルプロ酸 ラモトリジン |
一応、どの抗てんかん薬にも「通常《?薬量 というものが設定されています。そこで、てんかんの薬物療法を開始する際には、とりあえず、その「通常《量(小児の場合は体重当たりの「通常《量)で?薬を開始していただくことになります。そして、一定期間(2*4週)過ぎたのち、再度、血液検査をし、肝臓機能、電解質、血球数などに異常値が出現していないか(すなわち、隠れた副作用が発生していないか)チェックし、さらに、薬の血液内濃度、すなわち、血中濃度を測定します。
抗てんかん薬の?用量が増えると、薬の脳内濃度も高くなります。それにともない、発作がコントロールされる確率も高まります。しかし、その一方で、眠気、注意力の低下などの副作用がでやすくなります。そこで、抗てんかん薬の効果発現と副作用出現の目印として、薬の体内濃度を利用する試みが行われてきました。その場合、脳内の薬の濃度が測定できれば一番いいのですが、残念ながら、現在、これを簡便に行う方法はありません。正確に測定するには、脳を取り出してきて、すりつぶし、濃度を測るしかありません。もちろん、そんなことはできませんから、現在は血中濃度で代用しています。脳内濃度と血中濃度は同一ではありません。しかし、ある程度、比例関係にあります。じっさい、血中濃度によって抗てんかん薬の効果発現や副作用発現の可能性をある程度予測可能であることがわかっています。そして、各々の抗てんかん薬において、効果発現の可能性が高まる下限濃度から、副作用発現の可能性が高まる上限濃度までの「有効血中濃度《が設定されています。
しかし、これは、きわめて危険です。
急に断薬すると、ひどい発作が起きるかもしれないからです。
フェノバルビタールのような薬でよく知られた事実ですが、急激な断薬によって、制御不能のけいれん重積に発展するおそれがあるのです。抗てんかん薬によって長期にわたって発作を抑制していたため、押さえがなくなると、反動で、いつも以上のひどい発作に発展してしまうのです。抗てんかん薬によって押さえつけられ押し込められた脳内の「てんかん」エネルギーが解き放たれるのです。反動によってはじけ跳ぶ現象ということで、反跳現象(リバウンド)と呼ばれています。コントロール不能となった発作によって、最悪の場合、死に至るおそれさえあります。くれぐれも、自己判断で突然、薬を中止することだけはおやめください。
薬を?用すると胃や腸から薬が吸収され、徐々に、体内の薬の濃度が上昇します。しかし、その一方で、身体は何とかして薬を追いだそうとします。こうして、薬の血中濃度は数十分から数時間かけて最高値に達したあと、徐々に低下し、最終的にゼロになります。しかし、濃度がゼロになってしまう前に再び薬を?用すると、一回目以上に血中濃度が上がり、その後、再び下がっていきます。このようにして、一定間隔で繰り返し何度も薬を飲むと、徐々に薬の濃度が上がっていきます(図2)。

図2薬をくり返し飲んだ場合の血中濃度の変動(点線)。半減期の約5倍たった時点で、薬の濃度持続点滴した場合と同様の定常状態の濃度で上下するようになる。T1/2:半減期。
(ボーター著 渡辺一功監訳。てんかん診療第3版 医学書院1996)。
しかし、永遠に上がり続けるわけではありません。ある一定期間ののち、薬の体内への吸収と排泄が平衡状態に達し、薬の濃度の最低値と最高値が定まり、その一定の枠内で薬の濃度は推移するようになります。これを定常状態といいます(図2)。抗てんかん薬のように薬を長期にわたって?用する場合、体の中ではこの定常状態が保たれています。定常状態に達するまでの期間は、だいたい、薬の半減期の5?です。薬の半減期というのは薬が最高値に達してから、その半分の濃度になるまでの時間をいいます。
たとえば、フェノバルビタールの半減期は72時間ぐらいですから、定常状態になるまでに15日間ぐらい必要です。ですから、発作が止まらないからとフェノバルビタールの量を増やしても、定常状態の濃度に移行するまでには2週間以上かかります。増量したことによる効果を判定するためには、それだけの時間が最低必要ということです。もし、それが待てないということであれば、大量のフェノバルビタールを 短期間?用していただき、一時的に血中濃度をつり上げるということをすることになります(ただし、いっぺんに濃度が上昇するために、眠気などの副作用がでやすくなります)。
一方、バルプロ酸の半減期は2-4時間とフェノバルビタールに比べかなり短く、したがって、数日で定常状態に達します。ただし、これは「なまの《バルプロ酸製剤の話です。胃では溶けないように工夫が施された腸溶錠(徐放製剤ともいい、その特性によって、一日1-2回の?用によっても血中濃度のふれが減り、副作用がでにくく、発作が起こり似にくくなることが期待されます。商品としてはデパケンR、セレニカRなどがあります)では、半減期は5-7時間と2?近く延長し、したがって、定常状態に達するのにも時間を要することになります。
薬を飲み始めたとき、そして、薬の量を変更したときは、以上のことを思いだして下さい。薬を飲み始めても、薬がすぐに効くわけではありません。そして、薬の量を変更しても、その効果が現れまでには最低数日を要するのです。
当初、有効だった抗てんかん薬がだんだん効かなくなり、どれだけ量を増やしても発作を押さえられなくなることがあります。これを、薬剤耐性といいます。クロナゼパム、ニトラゼパムなどベンゾジアセピン系薬剤に顕著にみられる現象です。しかし、ベンゾジアセピンほど顕著ではありませんが、薬剤耐性は他の抗てんかん薬にも認められます。とくに、難治てんかんの場合、一旦は素晴らしくよく効いたのに、だんだん発作がぶり返すようになることは、どの薬においても経験することです。
ただし、ある抗てんかん薬で数年発作がおさまっていたのに、その後、再発するといったケースは、薬剤耐性というよりも、てんかん原性が「成長《した結果と推測されます。内側側頭葉てんかん、皮質形成異常などによる難治性てんかんに観察される現象です。この場合、一旦再発すると、残念ながら、いかなる抗てんかん薬を使っても、コントロール上可能ということがほとんどです。
薬剤耐性は悪いことばかりではありません。抗てんかん薬?用によって起こる眠気、ふらつきなどの副作用にたいする「耐性《も生じるのです。これも、ベンゾジアセピン系薬剤でよくみられることで、しかも、てんかん発作に対する耐性よりも早期に出現します。ですから、?用開始後しばらく眠気、ふらつきがみられても、そのうち消失して、抗てんかん作用はしばらく安泰ということが期待できます。ただし、眠気、ふらつきは、やはり、問題ですから、普通、そうした副作用がでないぐらいの少量から開始して、増量することがほとんどです。そして、その後も血中濃度、発作状況をみて、量を調整することになります。
カルバマゼピンも副作用に対する「耐性《がでやすいことで有吊です。飲み始めたときにはひどい眠気を生じたのに、半年後には、同じ量を?用しているのに何ら眠気がみられないということがカルバマゼピンではよくみられます。ただし、この薬の「副作用耐性《はちょっと複雑です。カルバマゼピンには酵素自己誘導といって、自分自身の体内代謝を活発化させる作用があります。このため、薬を飲み続けると体内での分解速度が加速し、このため、徐々に血中濃度が低下します。当然、副作用は時がたつにつれ、でにくくなります。こうして、あたかも副作用に対する「耐性《が生じたかのようにみえることがカルバマゼピンにはあるのです。酵素自己誘導は1カ月ぐらいでおさまるとされていますが、?用量によってはもっと長くなることもあり、血中濃度の低下が数ヶ月続くこともあります。ですから、それまでは、他の薬以上に血中濃度を頻回に測定して、薬の濃度がある程度保たれているかチェックが必要なことがあります。
耐性と同時に薬物依存性がでてくることもあります。体が薬に慣れきって、薬がないと変調をきたしてしまうようになるのです。これも、ベンゾジアセピン系薬剤で顕著です。
抗てんかん薬は定期的に飲む薬ですから、飲んでいる限りは「薬物依存《もあまり問題ではありません。しかし、薬を切るときには、注意しなければなりません。禁酒などと同様、突然抗てんかん薬をやめてしまうと、譫妄をはじめとしてさまざまな身体症状、精神症状がみられることがあるのです。これは、離脱現象とは区別して考えるべきものです。しかし、離脱現象同様、症状を回避するためには、ゆっくり減量中止することが肝心です。
てんかんの薬物治療は、一つの薬を?用することから始まります。そして、目立った副作用がみられない量で発作が再発しなければ、その薬による治療は成功ということになります。しかし、上幸にも、発作が再発した場合、血中濃度に注意しながら、少しずつ、薬を増量することになります。そして、副作用がみられるぐらい薬を増量しても、まだ、発作が起こるようであれば、その薬を無効と判断します。その薬をあきらめ、次の薬を試すのです。
ただし、ある抗てんかん薬で数年発作がおさまっていたのに、その後、再発するといったケースは、薬剤耐性というよりも、てんかん原性が「成長《した結果と推測されます。内側側頭葉てんかん、皮質形成異常などによる難治性てんかんに観察される現象です。この場合、一旦再発すると、残念ながら、いかなる抗てんかん薬を使っても、コントロール上可能ということがほとんどです。
薬剤耐性は悪いことばかりではありません。抗てんかん薬?用によって起こる眠気、ふらつきなどの副作用にたいする「耐性《も生じるのです。これも、ベンゾジアセピン系薬剤でよくみられることで、しかも、てんかん発作に対する耐性よりも早期に出現します。ですから、?用開始後しばらく眠気、ふらつきがみられても、そのうち消失して、抗てんかん作用はしばらく安泰ということが期待できます。ただし、眠気、ふらつきは、やはり、問題ですから、普通、そうした副作用がでないぐらいの少量から開始して、増量することがほとんどです。そして、その後も血中濃度、発作状況をみて、量を調整することになります。
カルバマゼピンも副作用に対する「耐性《がでやすいことで有吊です。飲み始めたときにはひどい眠気を生じたのに、半年後には、同じ量を?用しているのに何ら眠気がみられないということがカルバマゼピンではよくみられます。ただし、この薬の「副作用耐性《はちょっと複雑です。カルバマゼピンには酵素自己誘導といって、自分自身の体内代謝を活発化させる作用があります。このため、薬を飲み続けると体内での分解速度が加速し、このため、徐々に血中濃度が低下します。当然、副作用は時がたつにつれ、でにくくなります。こうして、あたかも副作用に対する「耐性《が生じたかのようにみえることがカルバマゼピンにはあるのです。酵素自己誘導は1カ月ぐらいでおさまるとされていますが、?用量によってはもっと長くなることもあり、血中濃度の低下が数ヶ月続くこともあります。ですから、それまでは、他の薬以上に血中濃度を頻回に測定して、薬の濃度がある程度保たれているかチェックが必要なことがあります。
耐性と同時に薬物依存性がでてくることもあります。体が薬に慣れきって、薬がないと変調をきたしてしまうようになるのです。これも、ベンゾジアセピン系薬剤で顕著です。
抗てんかん薬は定期的に飲む薬ですから、飲んでいる限りは「薬物依存《もあまり問題ではありません。しかし、薬を切るときには、注意しなければなりません。禁酒などと同様、突然抗てんかん薬をやめてしまうと、譫妄をはじめとしてさまざまな身体症状、精神症状がみられることがあるのです。これは、離脱現象とは区別して考えるべきものです。しかし、離脱現象同様、症状を回避するためには、ゆっくり減量中止することが肝心です。
しかし、そのように複数の薬を?用してもてんかん発作がコントロールされないことがあります。これが難治てんかんです。
発作が長期に渡ってくり返しみられると、就学、就労に多大な影響を及ぼし、家庭生活も社会生活も阻害されます。子どもさんですと、発達への影響も懸念されます。精神的な影響も計り知れず、発作のせいで引っ込み思案になって、人とのつきあいもうまくいかなくなることもあります。ですから、できうる限り発作は止めなくてはいけません。
しかし、残念ながら、薬だけでは対応できない方が2*3割みえます。
こうした難治てんかんに対し、焦りは禁物です。難治てんかんらしいと判断されたら、一度、立ち止まって、ゆっくり考え直すことが大切です。診断も含め再検討するのです。
まず、止まらない発作が本当にてんかん発作なのか、念を入れて、もう一度確認し直す必要があります。発作症状を詳しくお聞きし、てんかん発作と考えておかしくないか、改めて検討します。
これは大事な作業です。てんかんセンターなどの専門施設に紹介されてくる「難治てんかん《のうち、数十パーセントが、実際にはてんかん発作を有していなかったという報告さえあるのです。ですから、難治てんかんの患者さんの場合、まず、今まで治療してきた発作が本当にてんかん発作なのか、腰を据えて見直すべきです。
一番確実な確認方法は、診断のところで述べましたように、「発作《に一致して、脳波上、てんかん発作を示唆する律動波がみられることをビデオ―脳波同時記録によって確認することです。しかし、これは、どこでもできる検査ではありません。てんかんセンターなどの専門病院に受診していただく必要があります。
もちろん、そうした専門機関でも、ビデオ*脳波同時記録によってつねに結論がだせるという保証はありません。しかし、少なくとも、違った目でもう一度発作の正体を再検討する機会にはなります。いわゆるセカンドオピニオンを聞くことができるのです。このセカンドオピニオンによって、てんかん発作の有無についてより正確な情報が得られることになります。そして、やはり、紛れもないてんかん発作ということになれば、さらなる薬物療法の戦略を立てます。その場合、薬物治療に加え、外科治療、食事療法の可否についても検討されます。
薬でコントロールできない難治性てんかんに対し、薬物治療の次に考慮されるのが外科治療です。
ただし、難治てんかんであればすべて外科治療の対象となるわけではありません。どのような術式を含めるかによっても異なりますが、外科治療の適応は難治てんかんの半数にも満たないとされています。しかし、逆に、適応対象を厳密に選択することによって外科治療で最低でも45%以上の発作コントロールがえられます(ただし、この45%という数は、あとで述べる切除外科治療の有効率で、遮断外科治療の結果は含まれません)。外科治療の最大の適応対象である症候性局在関連てんかん(部分てんかん)では、1*2年かけて3種類以上の抗てんかん薬で治療を受けても発作が抑制されなかった場合、次の抗てんかん薬で発作がコントロールされる確率は一割にも達しません(図3)。ですから、45%以上の発作抑制率が期待できる外科治療は薬物治療に代わる有力な治療候補といえます。

図3 症候性部分てんかん発作消失率
症候性部分てんかんでは、1年以内に抗てんかん薬で発作が止まらなければ、その後、発作が痕ロールされる確立は5%以下になる。これに対し、きちんと適応を選べば、外科治療によって45-70%で発作が消失する可能性がある。
「脳にメスを入れる《のはできることなら避けたいですし、麻酔も含め、手術にはある程度の危険がつきものです。また、「脳にメスを入れる《ことによって機能障害がでるおそれもゼロではありません。もちろん、術前には、機能障害を最小限におさえるように(理想的には、全くないように)、細心の注意が払われます。そして、いかなる脱落症状も出現しないよう、あらゆる可能性を想定して術式が決定されます。しかし、残念ながら、機能脱落や副反応をすべての人において完全に避けることはできません。
薬物療法同様、外科治療においても、最終目標は、発作消失によって「普通の生活《に戻れるよう、生活環境を整えることです。発作は止まったものの、記憶障害、言語障害といった脱落症状でまともな生活ができなくなっては元も子もありません(ただし、薬物療法同様、すこしぐらいの術後機能障害(副作用)がでても、発作を消失もしくは軽減することが優先される場合もまれにあります。その場合、「やむを得ない最終手段(the last resort)《として患者さん(もしくは保護者の方)の十分な了解を得て術後機能障害出現を覚悟の上で手術に踏み切ることがあります)。
てんかんの外科治療を考慮する場合も、まず、原点に戻って、頻回にみられている発作が本当にてんかん発作かどうか、もう一度確認します。
間違いなくてんかん発作であることが確認されると、つぎに、そのてんかん発作がどのような発作型であり、てんかんとしてどこに位置づけられるのか、再評価します。
また、外科治療によってどのような脱落症状が出現するかも、正確に予測する必要があります。さらに、手術では予期せぬ合併症も起こり得ます。外科治療に当たっては、それらすべての情報を患者さんと患者さんの家族にお伝えし、十分に話し合います。
このため、てんかん外科治療はてんかんの診断、発作のビデオ*脳波同時記録、神経心理学的評価など、てんかについて全方位的評価をすることができ、てんかんにかんするさまざまな分野の専門家がそろっている病院(もしくは複数の病院群)で行う必要があります。てんかん外科治療は手術を行うだけ、という単純な治療ではありません。てんかん臨床に精通した医師、ソーシャルワーカー、臨床心理士、作業・理学療法士、看護師などからなる「てんかん外科医療チーム《によってあらゆる角度から検討され行われます。
前に述べましたように、薬でうまくコントロールできないてんかんがすべて外科治療の対象になるわけではありません。現在のところ、外科治療が可能なてんかんsurgically remediable epilepsiesは次の5つに限定されます。
1. 内側側頭葉てんかん
2. 器質病変が検出された部分てんかん
3. 器質病変を認めない部分てんかん
4. 一側半球の広範な病変による部分てんかん
5. 失立発作をもつ難治てんかん
これ以外のてんかんについては、発作のコントロールも含め、外科治療によって難治性てんかんを有する患者さんの生活の質が向上するという保証がありません。ただし、外科的治療の対象となるこの5つのてんかん類型に属するかどうか、はっきり言い切れない患者さんも中にはみえます。ですから、実際にはケースバイケースで外科治療の適応を判断することになります。
てんかん外科治療の対象となるこの5つのてんかんのうち、一つ目から四つ目までは、異常放電が脳の一部から始まるてんかん発作、すなわち、部分発作がみられるてんかんです。手術にあたっては、異常放電を引き起こす部位がどこにあるのか見当をつけ、てんかん焦点を可能なかぎり切り取ることになります。これを切除外科と呼んでいます。
これに対し、5つめの「失立発作をもつ難治てんかん《に対する外科治療というのは、左右大脳半球をつなぐ脳梁という神経繊維の集団を切断して、神経伝達を遮断(離断)し、てんかん放電が広がっていかないようにする術式です。これを遮断外科といいます。切除外科と異なり、遮断外科では、てんかん発作の元凶となる部分を取り除くわけではありません。発作の源に手をつけないのですから、原理上、発作の完全抑制は望めません。異常放電が脳全体に広がっていくのを阻止し、軽い発作にとどめるというのがこの手術の狙いです。
ちなみに、遮断外科治療としては、いまひとつ、軟膜下多切術(MST)というものもあります。
てんかん焦点であればどんな皮質でも切り取ってしまっていいというわけではありません。切除すれば、まず間違いなく、ひどい機能障害をきたす恐れがあり、切除できない皮質領域があります。たとえば、ことばをコントロールする言語野です。ここをとってしまうと、話すことができなくなる恐れがあります。 しかし、てんかん焦点が皮質言語野を含んでいることがはっきりしている場合、何かしなければ、発作を完全に押さえ込むことはできません。そのような場合、言語野の皮質に垂直に切れ込みをいくつも入れることがあります。大脳皮質の神経細胞と神経線維は垂直方向に伸びていて、電気信号もそれに沿って流れていますから、垂直方向に切れ込みを入れても、言語を支配する信号の流れは遮断されません。言語機能にさほどの影響を及ぼさないことが期待されます。しかし、垂直方向の切れ込みによって言語野神経細胞の横方向のつながりは切断されますから、理論上、てんかん発作を引き起こす異常放電が広がっていくことは防げます。そこで、脱落症状を防ぎ、かつ、発作をなくすために、皮質に垂直方向に切れ込みを入れるのが軟膜下多切術です。皮質そのものを切除するのではなく、神経相互の連絡を断ち切るという意味で遮断外科治療ということになります。しかし、これによって発作をコントロールしきれるのかどうかにかんしては、はっきりした結論が出ておらず、いまだ議論の多い術式です。
内側側頭葉てんかんというのは、発作を起こす異常放電が海馬、海馬傍回、扁桃体といった側頭葉の内側構造物からはじまるてんかんのことです。

図4 大脳の側面像
フリー百科事典『ウィキペディア』より
大脳半球は大きな脳溝を境として前頭葉、頭頂葉、側頭葉、後頭葉の4つに区分されます(図4)。側頭葉は頭頂葉の下方に前頭葉と後頭葉に挟まれるようにして側頭骨に包まれています。さらに、側頭葉は脳の内側へも入り込んでおり、この部分も側頭葉に含まれます。外からみえる部分を外側側頭葉、内側に隠れている部分を内側側頭葉と呼んでいます。
側頭葉は他の脳葉同様、数え切れないほどたくさんの機能にかかわっているものと思われます。しかし、外側側頭葉の主要機能の一つは外界信号を統合処理することだと考えられています。外界刺激を認識し、過去の記憶と照らし合わせてその意味を判別するのです。一方、内側側頭葉は乳頭体、帯状回といった他の部位の神経細胞群(内側側頭葉の海馬、扁桃核を含め辺縁系と呼ばれています)とともに記憶に関与し、また、種の保存に必要な情動や自律神経機能を統合する役割も果たしています。
側頭葉てんかんとは、この側頭葉に発作焦点があり、側頭葉起源のてんかん発作が繰り返し起きる病態をいいます。当然のことながら、側頭葉てんかんでは発作時、そして、ときには発作の間にも、側頭葉の機能を反映した症状がみられます。
内側側頭葉にある海馬、扁桃体といった辺縁系組織はちょっとしたことでてんかん発作が発生しやすく(痙攣閾値が低いという言い方がなされています)、主要てんかん発作焦点のひとつになっています。さらに、外側側頭葉に始まったてんかん発射は急速に内側側頭葉に伝播、内側側頭葉で発作が励起されて、発作が持続、他の脳葉にまで異常放電が拡大していくこともあります。このため、内側側頭葉は「てんかん発作のペースメーカー《とさえ呼ばれています。
内側側頭葉てんかんの代表的症状は、「胃からこみ上げてくるような《異常感覚を感じた後、意識が消失、目がうつろとなり、口をもぐもぐさせたり、手に持っているものを弄んだりといった自動症に至る、というものです。自動症のみられる手と反対側の上肢が捻れるように突っ張ることもあります。そして、ときとして、全身痙攣に至ります。内側側頭葉に発した異常放電が徐々に外側側頭葉をはじめとした周囲組織へと広がり、ついには脳全体を巻き込み、これに対応して前兆(単純部分発作)から複雑部分発作、そして、最終的に二次性全般化発作へと至るのです。前兆としては、先に述べた、上行性上腹部異常感覚以外にも、恐怖感、異常嗅覚、異常味覚、既視感、幻聴、幻視、めまいなどがみられます。

図4 内側側頭葉てんかんのMRIとポジトロンCT
右上は脳の正中線における矢状断で、この図で橙色の垂直線で撮影した冠状断が左下図、30°ほど前方に傾けて撮影したものが右上図。この右上図で下方両側に房のように突き出ているものが側頭葉である。左下図で内側に灰色の塊のようなものがみえるのが内側側頭葉の海馬で、右に比べ左の海馬が小さいのがわかる(矢印;海馬萎縮)。ポジトロンCTでも右海馬は索状に黄色く写っているのに、左海馬には黄色のものはみられない。これは、右海馬でエネルギー源の糖の取り込みが低下していることを示している。
側頭葉てんかんのてんかんの病因としては腫?、先天性の脳形成異常、瘢痕組織などさまざまなものがあります。しかし、その中でおそらくもっとも多いのが、海馬硬化病変です。
海馬硬化とは海馬の神経細胞が脱け落ち、グリア細胞と置き換わって小さく堅くなっている病変のことをさす言葉です。手足に擦り傷ができると、皮膚の細胞がはげ落ち、代わりに結合織が増生して、傷口がやや堅くなって傷が治ります。実態は異なりますが、それに似たようなことが側頭葉内部で起こっていると考えていただけるとご理解いただけるかもしれません。
この「傷跡《の海馬には「配線が乱れた《異常な神経細胞網が形成されています。そして、ちょっとしたことで神経細胞間の電気の流れが乱れ、てんかん発作が起きやすくなっています。ただし、海馬のこの「傷跡《がどうしてできるかについては、昔からさまざまな説が提唱されていますが、いまだ結論が出ていません。
海馬硬化にみられる「傷跡《的所見は海馬周囲の嗅内皮質や海馬傍回、扁桃体にも認められます。それらはすべて内側側頭葉にありますから、海馬硬化は内側側頭葉硬化(mesial temporalsclerosis、以下MTS)とも総称されています。
内側側頭葉硬化のある患者さんは発作症状、脳波所見、画像所見、臨床経過がよく似ています。
家族、親戚にてんかんをもつ人が結構いますし、最初のてんかん発作が乳幼児期の熱性けいれん、それも、重積状態に至るような重篤な熱性けいれんということが少なくありません(3-4割の方が重積発作で発症するという報告もあり、重積発作によって選択的に海馬を初めとする内側側頭葉が障害されて、内側側頭葉硬化になるのではないかという説が昔から唱えられています。しかし、上に述べましたように、本当にそうかどうか、まだよくわかっていません)。この重積発作のあと数ヶ月から数年は何ごともなくすぎます。しかし、そのうちに、前兆を伴った複雑部分発作が、繰り返し、みられるようになります。平均すると10歳前後のことです。その発作症状は内側側頭葉起源を疑わせるもので、実際、脳波上にも側頭部にてんかん放電を認めます。
しかし、この複雑部分発作は、比較的簡単にコントロールされることがあります。抗てんかん薬を?薬することで、数年、発作がない状態が続くことも少なくないのです。?薬を一旦、中止できることさえあります。
ところが、数年後、発作が再発します。
そして、こんどは、以前効いていた薬も含め、どの抗てんかん薬も発作を止めることができなくなります。月に数回、ひどいと、週に数回といった頻度で、かなり頻回に発作が起きるようになるのです。精神的に上安定になり、学校生活、社会生活に支障をきたすこともまれではありません。そして、MRIで側頭葉内側の海馬などの萎縮、異常信号が確認さます(図4)。SPECTあるいはPETといった機能画像検査で同部位およびその周囲の脳血流低下、ブドウ糖の取り込みの低下が認められることもあります。
このように、内側側頭葉硬化による側頭葉てんかんの多くはきわめて難治の経過をとります。
ところが、薬物治療に強い抵抗性を示すこのてんかんに対し、外科治療が絶大な効果を示します。
発作の焦点となっている側頭葉の前部もしくは側頭葉内側組織を切り取ることによって、60-70%の方で発作が消失します。発作が消失しないまでも、大多数の方で発作頻度が激減します。そして、発作の改善とともに精神的にも落ち着きがみられるようになります。脳を切除したことによる脱落症状はほとんどみられません。社会復帰し、普通の生活に戻られる方も少なくありません。
このように、内側側頭葉硬化に外科治療はきわめて有用です。歴史的にみても、てんかん外科の有用性が最初に認められたのが、この内側側頭葉硬化に対する手術でした。そして、現在でもてんかん外科治療の半数以上が内側側頭葉硬化を対象としています。
内側側頭葉硬化によってもたらされるてんかんは、このように比較的定型的な臨床経過をとるため、臨床的には内側側頭てんかん症候群とも呼ばれています。症候群として認識すると、診断も容易ですし、なによりも、手術をやるべきか否かの判断がつきやすい利点があります。また、切除すべき皮質焦点もわかっていますから、切除術式も患者さんごとに工夫する必要があまりありません。詳細な術前検索も無用なことがほとんどです。7-8割の方では、頭蓋内電極を留置するといった侵襲的な検査をスキップして切除術が行われます。
ちなみに術後の予後は手術の時期が早ければ早いほどいいことがわかっています。上幸にもこのてんかん症候群に罹患されているとわかった方は、難治てんかんと判明した時点で、勇気を持って手術を決断されることが望まれます。
てんかん外科の対象の多くは、異常大脳皮質に起因する難治性部分てんかんです。内側側頭葉てんかんはその典型例ですが、内側側頭葉てんかん以外の難治性部分てんかんについては、便宜上、大きく2つに分けられています。
一つは画像検査で明らかな病変がみられる部分てんかんです。そして、二つ目は、画像検査でどれだけ詳しく調べても明らかな異常病変がみつからない部分てんかんです。
どうしてそのような分け方をするかといいますと、この二つの難治性部分てんかんが、術前検査も、術式もかなり異なり、そして、何より、外科治療による予後が違うからです。画像上、病変がはっきりしている部分てんかんの方が圧倒的に外科治療による予後がいいのです。
画像でてんかん焦点を疑わせる病変が描出されるてんかんは「器質病変が検出された部分てんかん《と呼ばれています。
てんかん外科治療の対象となる「器質病変《としては良性腫?、血管腫、皮質形成異常、外傷や血管障害による脳軟化巣およびその瘢痕組織があります。
そのうちで、半数近くを占め、もっとも多いのが皮質形成異常です。
皮質は、胎児期に、無数の神経細胞が脳の内部から移動してきて形成されます。この皮質形成過程に狂いが生じてできあがった「出来?ないの《皮質が皮質形成異常です。皮質形成異常のある皮質では、きちんとあるべき所に神経細胞がなく、細胞自体も異常で、神経細胞間のネットワークが乱れていて、異常電流が流れやすくなっています。良性腫?、血管腫などによるてんかんでは、腫?の圧迫によって腫?周囲の神経細胞網が変形して電流が乱れやすくなっているためにてんかん発作が起きますが、皮質形成異常では、病変自体からてんかん発作が起きます。
「器質病変が検出された部分てんかん《では、内側側頭葉をのぞいた大脳皮質、すなわち、側頭葉の外側、前頭葉、頭頂葉、後頭葉のいずれからでも発作が起こりえます。発作も各々の皮質のさまざまな機能を反映した症状がみられますから、当然、発作症状も内側側頭葉てんかんのように定型的ではなく、多彩です。
器質病変が検出された部分てんかんでは、画像(多くは、高解像度のMRI)でてんかん発作の原因と推定される病変が確認できます。しかし、MRIでみえているその病変をすべて手術でとってしまえば、発作が止まるのかというと、それほど単純ではありません。
たとえば、皮質形成異常では、病変そのものがてんかん焦点になります。しかし、MRIでみえている部分だけがてんかん焦点であって、それさえとってしまえば発作が止まるのかといいますと、そうとは限らないのです。MRIは素晴らしい画像検査ですが、それでも、限界があります。MRIは形態異常を検出する手段ですから、異常電流が流れやすい部位をみせてくれるわけではありません。ましてや、病変周囲の皮質の細かな機能を手に取るように描出してくれるわけでありません。機能性MRI、ポジトロンCT、SPECTいった脳の機能を表出する画像検査もありますが、それらとて、てんかん焦点と皮質機能を正確に示してくれるわけではありません。
このため、頭蓋内の皮質表面に電極をおいたり(硬膜下電極)、脳に電極を差し込んだりして、てんかん焦点の広がりを確定する必要があります。また、てんかん焦点を切除した場合に重大な機能欠落が生じないか確認するために、そうした頭蓋内電極によって、てんかん焦点およびその周囲の脳機能を評価することが必須事項となります。だいたい3週間ぐらい、頭蓋内に電極を差し込んで、ビデオ―脳波同時記録によって発作のとき実際にはどこから異常電流が開始し、どのように伝搬していくか確認します。そうやって、切除すべきてんかん焦点の範囲を定めるのです。
その一方で、頭蓋内電極を使って脳を刺激し、てんかん焦点およびその周囲の皮質機能を確認します。とくに、言葉、体の動きなど重要な機能を司る皮質と切除すべき皮質が重なっていないかどうかを、はっきりさせます。忍耐を要する検査ですが、皮質切除によって発作消失と機能脱落阻止を両立させるためには、是非とも必要な検査です。
発作を完全に止めようと思えば、画像でみえる病変部位、そして、頭蓋内電極で確認されたてんかん焦点とその周囲をできるだけ多く切り取る方が当然いいのですが、いつもそれができるとはかぎりません。れたデーターをすべてお示しして、患者さん、患者さんの家族と時間をかけてご説明し、ご意見をうかがうことになります。
一般的に、画像上の病変が小さければ、てんかん焦点も小さいはずですから、重要な皮質機能と重なっている可能性も低く、外科治療の予後もよくなります。内側側頭葉てんかんと同等、あるいは、それ以上の発作消失率さえ期待できます。
一方、病変が広いと、重要な機能を司る皮質がてんかん焦点に含まれる確率が高くなります。そうすると、てんかん焦点をすべて取り切ることができなくなってしまいます。そのようなときには、発作消失率も残念ながら50%を割ってしまいます。前に述べましたように、機能的に重要な皮質だけ、切り取る代わりに軟膜下多切術(MST)によって皮質神経相互の神経連絡を絶ちきって発作が広がらないようにするという方法も提唱されています。しかし、十分な効果があるのかどうか、まだ、評価は定まっていません。
難治てんかんの中には、発作症状、脳波所見、機能画像所見から特定の皮質を焦点とする部分てんかんが疑われるのですが、高解像度MRIで何度検索しても、それらしい病変がみつからないことがあります。画像上で病変を特定できない難治性部分てんかんがあるのです。しかし、こうした「潜因性《部分てんかんでも、ときとして、皮質切除術が試みられます。
ただ、画像上の目標がありませんから、まず、発作症状を詳しくお聞きして焦点を推定し、さらに、発作-ビデオ同時記録で発作焦点候補部位を狭めていきます。また、SPECTという検査で発作時にどの部位で血流が増加するか確認します。血流が増大している部位が発作焦点である可能性が高いからです。さらに、PETやMEGなどあらゆる検査を総動員して、発作焦点の確定に努めます。その上で、硬膜下電極を頭蓋内に設置し、発作のとき異常放電が始まる皮質を特定します。さらに、その周囲の皮質機能の情報も硬膜下電極からの刺激によって集めます。発作焦点とその周囲を切除しても重大な機能喪失をきたさないか知るためです。
しかし、それほどの苦労を重ねても、「器質病変を認めない部分てんかん《にたいする外科治療の成績は、残念ながら、あまり芳しくありません。いまのところ、発作が完全に消失する可能性は50%に達していません。しかし、それでも、難治てんかん発作に悩まされ、苦しんでいる患者さんにとっては、条件がそろえば、考慮すべき治療法の一つです。
ちなみに、発作が消失した患者さんの切除した脳の切片でみられる病理変化のほとんどはグリオーシスなどの軽微な変化がほとんどです。軽い傷跡ぐらいに考えていただければいいかもしれません。皮質形成異常や硬化性変化はほんの一部でみられるだけで、はっきりした異常が全くみつからないことも少なくありません。
今までお話してきたてんかん外科治療は限局したてんかん焦点を対象としたものです。切除するのは脳のほんの一部です。しかし、てんかんをもたらす疾患のなかには、病変が広範にわたったり、脳のさまざまな部位に点在していることがあります。そのような広い範囲の病変の疾患としては片側けいれん*片側麻痺*てんかん(Hemiconvulsion-Hemiparesis-Epilespy (HHE))症候群、片側巨脳症、広範皮質形成異常、Sturge-Weber症候群、Rasumussen症候群、そして、結節硬化症があります。こうした疾患では、てんかん発作を止めるために、大脳皮質を広い範囲にわたって切り取る必要があります。ときには、片側の大脳半球すべてを切り取らなくてはならないこともあります。もちろん、そんなことをすれば、普通でしたら、運動麻痺、言語障害など重大な合併症をもたらします。
ところが、そうした重大な機能脱落をあまり気にする必要がないことがあります。
成長過程にある小さなお子さんの場合です。
未熟な脳は柔軟性に富んでいて、一部の脳が機能異常をきたしても、他の部位がその機能を代償してくれることがあります。発作が頻回に起きているてんかん焦点周囲の皮質の機能を、たとえば、反対側の健常な大脳半球が肩代わりしてくれるかもしれないのです。むしろ、てんかん発作が盛んに起こしている広範な皮質領域、あるいは、大脳半球は、健側のそうした代償性機能をも阻害している可能性さえあります。
もちろん、これは、あくまでも、理論上の仮説にすぎません。
ところが、この仮説が見事に証明される例がたくさんいることがわかってきました。広範囲な皮質切除、あるいは、半球切除によって、発作が止まり、重大な機能障害は生じず、むしろ、運動機能、知的機能が向上する小児難治てんかん例が報告されているのです。
もちろん、これは、あくまでも、理論上の仮説にすぎません。
ただし、これは成長期の子どもだけに限った話です。また、術後、軽い麻痺などがみられるようになる子もいないわけではありません。それに、脳に広範な病変があるお子さんですと、もともと、運動面でも知的な面でも問題を抱えていることが少なくありません。そうしたお子さんの場合、発作が止まったからといって、それまでみられていた精神運動発達の遅れが全く消失するわけではありません。しかし、それでも、全体してみると、発作消失に連動して、運動面でも知能面でも改善し、生活の質のレベルが上がることがあるのです。
大脳半球は、前頭葉、側頭葉、頭頂葉、後頭葉の4つからなっていますが、今まで述べてきた切除外科では、内側側頭葉てんかんのように、側頭葉のほんの一部を切り取るだけです。しかし、ここで述べている広範な病変による部分てんかんでは、側頭葉と後頭葉といった具合に、2つ以上の脳葉にまたがっててんかん焦点と目される皮質を切り取ることになります。そして、片側巨脳症のように、一側の大脳半球のほとんどが異常皮質で覆われていて、そのどこからでも異常放電が発生しうる疾患の場合には、異常大脳半球をすべて切り取る必要があります。実際、昔は、一側の大脳半球をまるまる切除する手術も行われていました。しかし、これは、とても大がかりな手術で、合併症も少なくありません。そこで最近では、異常大脳半球との繊維連絡をすべて切断し、機能的に一側大脳半球を切り取ったのと同じ状態にする手術が行われています。これを機能的半球切除術といいます。
対象を選んで、きちんとした評価のもとに行われると、広範な皮質切除、あるいは、機能的半球切除術によって70%以上の患者さんで発作が消失します。そして、発作が止まるとともに、運動機能、知的機能の改善、生活の質の向上もまれならずみられます。そして、ご両親の介護負担も大幅に軽減します。
とくに、Rasmussen症候群のように脳萎縮が徐々に進み、運動機能が進行性に悪化していく疾患においては、時機を失せず広汎皮質切除をすることが推奨されます。
失立発作というのは、立っていて突然倒れる発作の総称です。転倒の原因となる発作型としては、てんかん性スパズム、強直発作、ミオクロニー発作、脱力発作があります。レンノックスーガストー症候群といった症候性全般てんかんの患者さんによくみられます。予告もなしに突然倒れるので、頭や顔を壁や床にぶつけ、生傷が絶えません。薬ではコントロールできない難治発作のことが多いので、けがの予防のためにヘルメットをかぶっていただくこともあります。しかし、ヘルメットではカバーしきれなくて、歯を折ったり、目の周り、鼻などに皮下出血をきたしたりします。こうした失立発作に対して行われるのが脳梁離断術です。
脳梁というのは左右の大脳半球をつなぐ神経線維(交連線維)の束です(図5)。左右大脳半球の間に位置して、約2億本の交連線維が左右の大脳半球の情報伝達を担っています。

図5 脳梁(赤い矢印)
ところが、左右いずれかの大脳半球に異常電流(てんかん発射)が発生した場合、脳梁はその異常電流の伝達路にもなってしまいます。しかし、もし、脳梁という左右大脳半球の連絡路を断ち切れば、理論上、異常電流の伝達も阻止できることになります。そうなれば、てんかん発作の程度を軽くすることができるかもしれません。実際、動物実験ではそのような事実が確認されています。また、ヒトでも、この理論を裏付けするような現象が観察されています。脳梁に腫?が浸潤した途端、てんかん発作が消失した脳腫?の患者さんが報告されているのです。
こうした事実を踏まえ、難治てんかんに対する治療として行われるようになったのが脳梁離断術です。
失立発作のみならず、難治前頭葉てんかんにも行われたこともあり、かつて、この術式はてんかん外科の10%近くを占めました。
しかし、その後、期待したほどの効果が得られないことがわかってきました。
部分発作やミオクロニー発作に対してはむしろ悪化させる可能性さえ指摘されるようになっています。ミオクロニー発作以外の全般発作についてもあまり有効でないことがわかってきました。この術式で期待された痙攣重積傾向のあるてんかんに対しても結果は思わしくありません。
結局、今では、失立発作を主体とするほんの限られた難治てんかんに対してのみ適応があると みなされるようになっています。
てんかん発作の源となるてんかん焦点をとってしまうわけではありませんから、脳梁離断のみでは、発作の完全消失は期待できません。発作消失は5-7%にみられるだけです。原理的にいっても発作の完全抑制が無理なわけですから、脳梁離断の手術成績は50%以上の発作抑制を指標として評価すべきという意見もだされています。実際、その程度の発作減少ならば、失立発作を有する患者さんの70-100%で達成可能と報告されています。ただし、2年ぐらいたつと、一旦減った発作が再び増えることがあります。しかし、その場合でも、術前のレベルまで発作頻度が戻ってしまうことはないようです。
ただし、失立発作以外の発作型については50%の発作抑制でさえ、35%から80%の患者さんにみられる程度です。これでは、脳梁離断という侵襲的な治療に見合わない結果といわざるをえません。したがって、失立発作以外での適応はあまりないということになります。
脳梁離断では、さまざまな合併症が起こりえます。手術後すぐにみられる急性期合併症としては、片麻痺があります。これは、手術の際、大脳半球内側の一部が引っ張られたり、静脈の流れが悪くなったりすることが原因と推定されています。さらには、大脳の前方にある脳動脈の攣縮によると思われる無言無動症がみられることもあります。しかし、こうした症状はいずれも一過性です。
急性期の合併症としては、まれですが、硬膜外血腫もあります。この場合にはどんどん状態が悪化していきますから、緊急の対応を要します。
慢性期の合併症としては、まず、言語障害があります。言葉を操る言語野は左右いずれかの半球に偏在していることが多いのですが、一部の方では、両側半球いずれにも言語野があって、協力し合って言語機能を保っています。そうした方に左右の大脳半球のつながりを断つ脳梁離断が行われると、言語機能が十分に発揮できなくなってしまうのです。これ以外にも、左右大脳半球の情報が共有されないと生ずる微細な症状(たとえば、言葉で言われたことを左手でうまく行うことができないパントマイム失行など)が理論的には生じ得ます。しかし、やはり一過性で、生活に支障をきたすほどではないとされています。
レンノックスーガストー症候群などでみられる難治性発作に対する治療法としては、脳梁離断よりも迷走神経刺激の方が、最近、脚光を浴びています。日本でも2010年になって薬事法で迷走神経刺激装置が承認されましたので、最後に少し触れておきたいと思います。
迷走神経というのは脳の中心の脳幹からでて、咽頭、喉頭、心臓、肺、胃、腸など頚部、胸腔内、腹腔内のさまざまな臓器に枝をだす副交感神経です。さまざまな臓器に枝をだす膨大な長さの神経で、まるで、体中を放浪(vagus : ラテン語)するように走行しているため、迷走神経(vagus nerve)という吊前がつけられています。
動物の迷走神経を刺激すると脳波に変化を生じ、てんかん発作が減少することは、かなり以前から知られていました。しかし、ヒトのてんかん治療として迷走神経刺激がはじめて行われたのはつい最近、1988年のことです。
最初は部分発作での有効例が報告されました。しかし、その後、レンノックス-ガストー症候群の難治発作にも有効であることがわかってきました。その上、一部の患者さんでは、迷走神経刺激によって、運動機能、覚醒度、学習意欲も改善することが確認されました。しかし、なぜ、迷走神経刺激によってそのような効果がみられるのか、さまざまな説が提唱されていますが、いまだに、よくわかっていません。
具体的な手技としては、まず、首の側面の皮膚を切開して迷走神経を露出させ、螺旋状の電極をその迷走神経に巻き付けます。そして、胸部の皮下に埋め込んだ刺激発生装置から電極に間欠的な微弱刺激電流を送り込んで迷走神経を刺激します。
日本では、てんかん外科の経験を十分に積んでいるてんかん専門外科医が、研修を受けたのち電極設置を行うことになっています。ただし、電極設置後の刺激条件の調整、経過観察は、外科医以外のてんかん専門医も、研修を受けたのち、行うことができます。
てんかん発作に有効といっても、脳梁離断同様、切除術のような劇的効果は期待できません。半数の患者さんで、50%以上の発作頻度減少がみられる程度です。完全な発作消失は20%以下の患者さんにしかみられません。
有効率は大人より子どものほうが高いようです。
副作用としては、嗄声などの声の変化、喉の痛み、呼吸困難、顔面下部筋の麻痺、頭痛、発熱などが報告されています。嚥下障害、誤嚥などもみられることがあります。しかし、ひどい副作用はあまりなく、時間の経過とともに軽減する傾向があります。ですから、発作が減少すると、かなりの患者さんが刺激装置継続を望まれるようです。発作に加え、精神運動面での改善も期待されることから、今後、施行例が増えていくと思われます。
切除術ほど有効率が高くありませんから、迷走神経刺激は外科治療、ケトン食療法による発作抑制ができない難治てんかんにたいする補助療法と位置づけられています。しかし、それでも、レンノックス-ガストー症候群のように、薬による発作抑制が難しい患者さんには朗報といえるでしょう。脳梁離断よりは侵襲が少ないですし、無効とわかれば刺激電極と刺激装置を外して元通りに戻すことができます。脳梁離断では、一度切り離してしまった神経線維結合を元に戻すことはできません。こうしたことを考えると、従来、脳梁離断の対象とされていた失立発作に対し迷走神経刺激は脳梁離断前に考慮すべき治療法になっていくのかもしれません。
正常であることの重荷(Burden of normality)、
よくなったことの重荷(Burden of Wellness)
外科的治療、とくに、切除術によって、長年つきまとってきたてんかん発作から解放される方は少なくありません。まさしく解放されるのであって、発作が突然なくなり、四六時中身構える必要がなくなった晴れ晴れとした気持ちを患者さんたちは異口同音に口にされます。
しかし、それでは、それで、めでたし、めでたしかといいますと、残念ながら、そうはいきません。
外科的治療を受けられる方の多くは、長年、意識を失う発作を繰り返してきています。そして、そうした発作に耐えるために、どうやら、肉体的、精神的な防御反応を身につけられているようです。ところが、その発作が、突然、消失します。長年にわたって身につけた防御反応が、発作という目標を失い「身を持てあてます《ようになります。
さらには、発作があるということで周囲から大目にみられてきたことも、許されなくなります。
こうしたことが重なるためでしょう、手術後、さまざまな精神症状に悩まされる患者さんが少なくありません。
一番多いのが抑うつ状態です。せっかく発作が止まったのに、気分はかえって沈み込んでしまい、中には、自殺を考える方までいます。さらに、言いしれぬ上安、幻覚、妄想に苛まされる方も少なくありません。
こうした精神症状にきちんと対処する必要があるのは、いうまでもありません。放置すれば、発作が止まって明るく輝くべき患者さんの未来が、暗転してしまいます。
外科治療によって発作が止まるのは事実です。しかし、残念ながら、手術は「幸せの魔法の杖《ではありません。日本てんかん学会の元理事長、八木先生がおっしゃってみえるように、発作がなくなったからといって、すぐに歩き出せるわけではないのです。正常であることの重荷(Burden of normality)、よくなったことの重荷(Burden of Wellness)があるのです。発作がなくなったあとも、家族、医療、福祉が見守ってあげなくてはなりません。発作が止まったあとも、支えてあげなければならないのです。
飢餓状態になると、てんかん発作が減少することがあります。
このことはかなり昔から知られていました。
古代ギリシャのヒポクラテスはてんかんの治療法の一つとして絶食を挙げていますし、やや時代が下がって、新約聖書時代にも、断食は祈りと並んでてんかん発作の重要な治療法とみなされていたようです*。
しかし、飢餓状態をてんかん治療に役立てようとする試みが本格的にはじまったのは20世紀になってからです。1911年、4日間飢餓状態におかれた20吊のてんかん患者で発作コントロールがえられたという報告が、まず、フランスでなされました(Guelpa G、 Marie A。 La lutte contre L'epilepsie par la desintoxication et par la reeducation alimentaire. Revue de Therapie Medico-Chirugicale 1911、 78:8-13)。しかし、いつまでも絶食を続けるわけにはいきませんから、もちろん、この観察結果をそのまま治療に結びつけることはできませんでした。ところが、10年後の1921年、飢餓によるてんかん発作抑制状態が、体内のケトン酸形成に関連していることが米国のGeyelinによって報告されます(Geyelin HR. Fasting as a method for trating epilepsy. Med Rec 1921;99:1037-9)。そして、同年、Wilderは飢餓状態と同等の効果を高脂肪食によってえられることをてんかん患者において示しました(Wilder RM. Effects of ketonuria on the course of epilepsy. Mayo Clin Bull 1921;2:307-14)。
* マタイ福音書17章14-21 (フランシスコ会聖書研究所訳)
14 彼らが群衆のところに来ると、1人の人がイエズスに近づき、ひざまずいて、15 言った。「主よ、わたしの子をあわれんでくだい。ひどいてんかん持ちで、たびたび火の中や水の中に倒れます。16 それで、お弟子たちのところにつれて来ましたが、彼らにはいやすことができませんでした《。17 イエズスは答えて、「ああ、上信仰な、邪悪な時代だ。わたしはいつまであなたがたとともにおればよいのか。いつまであなたがたに辛抱しなければならないのか。その子をここに連れて来なさい《と言われた。18 イエズスがおしかりになると、悪魔はその子から出て行った。そのときから子どもはよくなった。19 弟子たちは自分たちだけになったとき、イエズスに近づいて、「どうして私たちには追い出せなかったのでしょうか《と尋ねた。20 イエズスは仰せになった。「信仰が薄いからである。あなたたちによく言っておく。もし、あなたたちに一粒のからし種ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここからあそこに移れ』と言えば、山は移るだろう。信仰があれば、あなたたにできないことは何もない。(21 しかし、この類のものを追い出すには、祈りと断食によらなければならない)《
この最後の文章(21)が絶食によっててんかん発作が抑制されることを(福音書が書かれた)1世紀末期の人間が知っていた証拠とされています。ただし、このとってつけたような文章は以前から問題視されているようです。マタイ福音書(または、その基になったマルコ福音書14章14-29)の原典に、のちになって何者かが付け加えた文章ではないかと疑われているのです。このため、聖書によってはこの文書が削除されています。少なくとも、日本の聖書では文語訳でも口語訳でも省略を示す記号を付けて文章21は省かれています。しかし、アメリカの聖書では削除されていない場合があるようで(7-21 Howbeit this kind goeth not out but by prayer and fasting.)、ケトン食療法に関するアメリカのテキストブックや総説では決まり文句のように「飢餓がてんかん発作を低減させることは聖書の時代から知られていた《という文章がでてきます。蛇足ですが、ギリシャ語訳聖書ではてんかんは「月によって犯される《と書かれていたようです。月によっててんかん発作が引き起こされると当時は考えられていたのかもしれません。
私たちの体はブドウ糖をエネルギー源にしています。このため、血液中のブドウ糖、血糖の濃度が一定に保たれるよう、私たちの体はさまざまな方法で調整を行っています。たとえば、1*2食抜いてブドウ糖の供給を絶っても、肝臓に蓄積したグリコーゲンがブドウ糖に分解されて血液に放出され、血糖が保たれます。ところが、飢餓状態が続き、肝臓のグリコーゲンまで枯渇すると、生体のエネルギー供給をブドウ糖だけに頼るわけにはいかなくなります。すると、こんどは、脂肪組織の分解が始まります。脂肪から脂肪酸が産生されるのです。この脂肪酸がブドウ糖に代わって骨格筋、心筋などのエネルギー源として活用されます。骨格筋、心筋では、エネルギーとして使われたあと、脂肪酸は二酸化炭素と水に分解され、体外に排泄されます。一方、肝臓では脂肪酸分解の過程でアセト酢酸、3-ヒドロキシ酪酸、アセトンが産生されます。この3つの代謝産物はケトン体と総称され、脂肪酸同様、エネルギー産生に活用されます。とりわけ脳は、脂肪酸をエネルギー源として使うことができず、ブドウ糖が上足した状態ではケトン体だけがたよりです。このため、飢餓状態では肝臓の脂肪酸が分解され、盛んにケトン体が作成されます。
しかし、飢餓状態でなくとも、ケトン体産生が増える場合があります。炭水化物を制限して、脂肪を大量に摂取した場合です。食事内容がそのような偏った状態にあると、生体は脂肪をエネルギー源として使わざるをえず、やはり、ケトン体産生が増えるのです。
Wilderはここに目をつけました。
てんかん発作に対する絶食効果のもととなっているケトン体を低炭水化物-高脂肪食で人為的に増加させようとしたのです。そして、食事の脂肪にたいする炭水化物とタンパク質ブドウ糖の比(ケトン比と呼ばれます)を2:1にするとケトン体が体内に産生されはじめ、3:1以上とすれば、持続して確実にケトン体が生成されることを確認しました。
この高脂肪、低炭水化物の食事(ケトン比4:1)によるてんかん治療はケトン食療法と吊づけられました。そして、ケトン食療法はさまざまなてんかん発作に効果を示し、日本を含め世界中で試みられました。
Wilderの時代にケトン食療法が盛んに行われたのには理由がありました。1920年代といえば、まだ臭化カリウム・ナトリウム(ブロム)とフェノバルビタールしか抗てんかん薬がなかったころです。この二つの薬のおかげでてんかん発作がかなりコントロールされるようになりましたが、まるっきり効かない発作も少なくありませんでした。代表が欠神発作です。そして、ケトン食は、欠神発作に絶大な効果を示したのです。
実際、ケトン食療法がおこなわれるようになった頃の主要目標発作は欠神発作でした。欠神発作は過呼吸によって誘発されることはよく知られています。過呼吸になると、肺からの二酸化炭素の排泄が促進されます。すると、身体はアルカリ性に傾きます。つまり、体がアルカリ性に傾くと、欠神発作が 出やすいかなるわけですから、逆に、ケトン体で酸性に傾けると発作が静まるのではないかという仮説がたてられました。その仮説が正しかったのかどうか、じつは、よくわかりません。しかし、ケトン食によって欠神発作が消失する例がたくさんいたことはたしかです。
そして、その後、過呼吸によって発作が誘発されるわけではない強直発作、スパズム、ミオクロニー発作などの発作にもケトン食療法は効果を示すことが証明されました。
ところが、フェニトインという強力な抗てんかん薬の出現とともに、ケトン食療法への情熱は冷めはじめます。そして、エトサクシミド、バルプロ酸といった欠神発作にも効く新たな抗てんかん薬が開発されると、ケトン食療法はほとんどおこなわれなくなりました。
一日数回薬を?用すればすむ薬物療法に比べ、ケトン食療法はあまりに煩雑で、しかも、患者さんに苦痛を強いるものだったからです。
ケトン食療法では、まず、最低1カ月の入院が必要です。ケトン食は、かなり特殊な食事ですから、作り方を患者さん(もしくは保護者の方)に時間をかけて覚えていただく必要があります。さらに、ケトン食開始時には身体が酸性に傾いたり(ケトアシドーシス)、嘔吐、低血糖、脱水、下痢、便秘などの副作用がでたりしやすいので、落ち着くまでは、身体のさまざまな面を厳重に点検し、副作用がでたらすぐさま対処する必要があります。
入院すると、まず、尿中にケトンがでてくるまで絶食です。しかも、これに耐えて、ようやくありつける食事は、油だらけ。甘いものは厳禁。これを最低2年以上続ける必要があります。当然、多くの患者さん(と保護者の方)はこれに耐えられません。脱落者が続出しました。
こうして、1970年代には、ウェスト症候群の攣縮発作など一部の小児難治てんかんをのぞいて、ケトン食療法はほとんど行われなくなってしまいました。1972年に発刊された和田豊治先生の「臨床てんかん学《にも「抗てんかん剤が発達した現在でも前述のように本ケトン食治療が難治の頻発例に時におこなわれることがあるが、しかしその実施は患者の忍耐という点でも経済的にもきわめて困難であって、親も子もともに疲れはてて中止することが多いので本治療は簡単に考えておこなわれるべきものでない《 と書かれています。どうにもならなくなったとき、あまり期待もせず、とりあえず、やってみる治療。それが、当時のケトン食療法の位置づけでした。
ところが、1990年代初頭、ケトン食療法はアメリカで息を吹き返します。
きっかけは、NBCテレビの人気番組「Dateline(日付変更線)《です。1994年、この番組でケトン食療法がとりあげられ、全米中に放映されたのです。とりわけ、ケトン食療法が奇跡的な効果を示したチャーリー・アブラハムズという生後20か月の男の子にみられた奇跡的な効果が視聴者の注目を浴びました。抗てんかん薬治療でも外科治療でもおさまらなかった発作がケトン食療法で完全に消失、精神活動も活発になったチャーリーの姿がテレビ画面に映し出されたのです(15年後に開かれたケトン食療法の第一回世界会議にチャーリー少年は招待され、ゲストスピーカーとして講演をしています)。チャーリーにケトン食療法を行ったジョン・ホプキンス大学小児てんかんセンターには5000件以上の問い合わせが殺到,ケトン食療法の認知度は一気に高まりました。
一方、チャーリーの父親はケトン食療法の普及を目指した「チャーリー財団《を設立しました。ケトン食療法にかんする研究活動を支援する一方で、ケトン食療法を啓蒙するために、患者、医師、栄養士向けのパンフレット「てんかん食餌療法《をアメリカ中に配布、さらに、女優のメリル・ストリープが出演するテレビ番組まで制作しました。ケトン食療法のガイドラインもこの財団の委託により作成されています。
こうして、NBCテレビの番組を境に、ケトン食療法を行う病院・施設が急増、ケトン食療法外来を開設する病院さえ現れました。これに比例してケトン食に関する論文数も飛躍的に増えました。そして、アメリカ以外でもカナダ、韓国を初めとして世界各地でケトン食療法が盛んに行われるようになりました。さらに、脳へのブドウ糖輸送に異常をきたし、空腹時、ふらつきやけいれんがみられる糖輸送担体1異常症(GLUT1欠乏症)という疾患の存在が認識されるようになり、この疾患の効果的な治療法としてもケトン食は脚光を浴びるようになりました。
食事内容にも工夫が施されました。たとえば、ケトンを誘導しやすい中鎖中性脂肪(MCT)を脂質として使うことによって、脂質に対する蛋白、炭水化物の比を2:1にしたMCTケトン食が考案されました。この組成であれば、長鎖中性脂肪を用いたケトン比が4:1の古典的ケトン食ほど脂っこくありません。かなり食べやすくなります。また、絶食期間をなくし、ゆったりとケトン食を導入する方法もとりいれられました。さらに、カロリー制限のないダイエット法として人気を博したアトキンスダイエットを応用したケトン食(アトキンス変法)も考案されています。アトキンスダイエットは炭水化物を少なくしてインシュリンの分泌を抑え、脂肪分解促進を狙ったダイエット法ですが、当然、このダイエット法では、脂肪の分解によってケトン体が増加します。これに着目して、ケトン食への応用が試みられたのです。アトキンスの変法では古典的なケトン食に比べタンパク含有量が多く、やはり、比較的食べやすい食事が作成可能です。年長児や成人が古典的ケトン食を食べ続けることはかなりむずかしく、このため、以前は、ケトン食療法が実質上、乳幼児でのみおこなわれてきました。しかし、こうした新たな方法によって食事の味が普通の食事に近づけば、年長児や成人でもケトン食療法をおこなうことができるようになってきています。
栄養組成だけではなく、メニューにも一段と工夫が凝らされるようになりました。間食用にケトン食用チョコレートキャンディーなどが考案されました。日本ではケトンフォーミュラというケトン食療法用の特殊ミルクが発売されていますが、これをもとにアイスクリームをつくることもできます。
こうした工夫により、かなりの施設でケトン食療法がおこなわれるようになりました。そして、それとともに、対象症例も増え、効果についても信頼に足る結果が示されるようになってきています。ケトン食による効果は、だいたい、2週間から4週間ぐらいであらわれます(ただし、数ヶ月後にようやく現れる患者さんも時にはみられるので、すぐに効果が現れなくても、4か月ぐらいは継続して試すべきだとされています)。そして、3分の1の患者さんで90%以上発作が減少し、半数以上の患者さんで発作が50%以上抑制されるとされています。また、アトキンス変法などの新しい方法でも古典的ケトン食と同等の効果が得られることが確認されています。そして、数年後、普通の食事に戻しても、ケトン食の効果が持続し、発作の再発がみられない患者さんも報告されています。
ケトン食療法の効果は年齢、発作型、基礎疾患によって左右されることはないといわれています。しかし、発作型に関していえば、ウェスト症候群のてんかん性スパズムを対象として行われることが現在も多いようです。副作用が激しく再発率も高いACTH療法と同等の発作消失効果があるとされているからです。これに対し、外科治療の対象となるような難治性部分発作の症例は対象から除外されています。また、てんかん類型別では、ミオクロニー失立てんかん、重症乳児ミオクロニーてんかんなどが対象として推奨されています。基礎疾患としては、先ほど述べた糖輸送担体1異常症が適応の筆頭にあげられます。ケトン食療法がこの疾患を有するお子さんが正常発達するための必須条件とまでいわれています。また、必ずしもてんかんを発症するわけではありませんが、ピルビン酸脱水素酵素欠乏症においても同様のことがいわれています。さらに、結節硬化症、レット症候群の患者さんでもケトン食療法が推奨されています。
発作の減少、消失のみならず、ケトン食療法を受けた患者さんの中には発達や行動上の改善がみられる方もみえます。また、発作の悪化を誘発することなく、抗てんかん薬を減量、中止できる可能性もあり、抗てんかん薬の副作用が軽減して、さらに、行動上の改善を期待できます。また、アトキンス変法などでは、当然ですが、肥満対策にもなります。
このように、ケトン食はいいことづくめのようですが、残念ながら、問題も山積みです。
まずは、副作用です。
導入時の副作用は先に述べましたが、ケトン食療法は最低2年間、続けるべきとされていますので(2年間続けたのちに中止しても、80%の患者さんで発作消失状態が保たれるという報告がなされています)、長期的な副作用にも留意する必要があります。成長障害、胃腸障害、腎結石、ビタミン欠乏、微量元素欠乏症(とくに、セレン欠乏)、膵炎、易骨折性が長期的な副作用として報告されています。ビタミン、微量元素の補充は必須です。腎結石に対してはクエン酸の?用で減少できるという報告もありますが、まだ、確証は得られていません。成長障害はとくに乳幼児で必発とされており、ケトン体が出続けるかぎり、避けることのできない問題で、ケトン比を下げることによっても回避できないという報告もなされています。いずれにしても、内分泌専門医、腎臓医、栄養士も含めさまざまな専門家の定期的なチェックが上可欠です。
しかし、最大の問題は、食事そのものにあります。
ケトン食療法が食事の楽しみを奪ってしまうのです。
たとえば、誕生日にケーキを食べることすらできません。炭水化物制限のため、シロップ水剤、ドライシロップ剤、糖衣錠の薬さえ避けるべきとされていますから、ケーキの糖分などはもってのほかです。ちょっとぐらい、と思われるかもしれませんが、糖分を増やし、ケトン体が下がった途端、発作がぶり返すおそれがあります。
もちろん、誕生ケーキよりも発作抑制のほうが重要だという考えは十分成り立ちます。しかし、成長期の子どもに長期にわたって食事の楽しみを奪うというのは、やはり、ちょっと、考えものです。繰り返しになりますが、どんな疾患であれ、治療の目的は、普通の生活ができるようにすることです(そして、子どもの場合は、その子の潜在能力を最大限引き出す生育環境を整えることです)。楽しみの伴わない食事を強要するケトン食療法は、やはり、治療の吊に値しない面があるといわざるをえません。
実際、ケトン食療法は長続きしないことでも有吊です。
患者さんやご家族が耐えられなくなり、中断にいたることが少なくないのです。長い間、ケトン食療法の効果が十分に評価されてこなかったのは、評価しようにも、脱落例が多すぎて、きちんとした比較検討ができず、評価上能となってしまったからです。
このように、まだまだ問題の多いケトン食療法ですが、今後、ますます広まっていく可能性も秘めています。さらに工夫を加えて食べやすいケトン食を作成することは可能でしょうし、何よりも、発作が止まり、精神の活発化が期待できることは、何ごとにも代え難い魅力です。実際、北米などでは、すでに、てんかん治療の「最終手段《などではなくなってきているようです。ある程度抗てんかん薬を試みた(2剤ぐらい)にもかかわらず十分な発作コントロールがえられない場合には、積極的に試みるべき治療法と位置づける病院、施設もでてきています。そして、そのようにして治療経験が拡大すれば、より安全で「耐えやすい《食事がさらに開発されるかもしれません。
そして、ケトン食療法の作用機序が完全に解明されれば、より効率的で、より効果的な治療法に発展する可能性もあります。
じつをいいますと、なぜ、ケトン食がてんかん発作に効くのか、まだ、よくわかっていません。膨大な研究がなされていますが、肝心の所が解明されていないのです。はっきりしているのは、十分な量のケトン体の存在が発作コントロールに必須、ということだけです。さまざまな動物実験も行われていますが、抗てんかん薬でみられるような意味合いでの発作コントロール作用はケトン食療法にはみいだされていません。このため、ケトン食療法は「魔女の技《として疑惑の目でみられたこともありました。しかし、たしかに効くことは効くのです。ですから、もしかしたら、従来のてんかん発作抑制機序とは全く違うものが生体に存在しているのかもしれません。もし、そうだとすれば、ケトン食療法はてんかん治療に関して、全く新しい地平を切り開いてくれる可能性を秘めていることになります。その意味でも、ケトン食療法は魅力的な治療法といえるでしょう。
最初に、てんかんの薬物治療は対症療法にすぎず、鉄欠乏性貧血にたいする鉄剤投与のような根治療法ではないとご説明しました。そして、抗てんかん薬の作用機序が十分解明されていないため、戦略的な治療計画もたてられないとも申しました。どの薬を使うのか、薬が効かなかった場合、つぎにどの薬を使えばいいのか、どれだけの期間治療するのか-----こうした当然の疑問に明確にお答えすることができないのです。これは、薬物療法に限ったことではありません。外科治療でもケトン食療法でも多かれ少なかれ、いえることです。残念ながら、てんかん治療というのは、てんかんをもつ患者さんのさまざまな疑問にきちんと答えられない部分を数多く残しています。このため、てんかん治療に上信感をもたれている方も少なくないかもしれません。
しかし、曖昧さがつねにつきまとうのがてんかん治療の現状なのです。
患者さんの疑問に充分答えられないのは、てんかんという病気、そして、脳という臓器の複雑さによるものだ、とカリフォルニア大学のローウェンシュタインは説明しています(Lowenstein. DH Pathways to discovery in epilepsy research: Rethinking the quest for Cures. Epilepsia 49: 1-7、 2008)
「3年前、空港のレストランで夫と一歳になる双児の子どもたちと一緒に食事をしていて、はじめて発作を起こした。この時、私の人生は混沌の奈落に落ちた。その時起きた発作、そして、その後繰り返した発作の数々。しかし、発作そのものは問題ではない。発作のさなか、わたしは意識がなく、何も知らないのだから。問題は、発作と発作の間。毎日、頭の中は幾度となく繰り返される同じ問であふれかえる。今日は、発作なしでやっていけるかしら?子どもたちは大丈夫かしら?そもそも、よりによって、なぜ、こんなことが、わたしの身に降りかからなくてはいけなかったの?子どもたちもてんかんを発症するのかしら?以前と同じような元気が出てこないのは、なぜ?いつかは、こんなこともなくなるのかしら?《
本章の冒頭に掲げたてんかんをもつ1人の女性のこの溜息を例に挙げて、てんかんの患者さんやご家族は共通して次のような基本的疑問を抱いている、とローウェンシュタインは指摘します。
1. なぜてんかん発作が起きたのでしょう?
2. 最良の治療はなんでしょう?
3. なぜ、治療はうまくいっていないのでしょう?
4. いつになったら発作は消えてくれるのでしょう?
現時点では、これらの質問に次のように答えるしかない、とローエンシュタインはコメントしています。
1. なぜてんかん発作が起きたのでしょうか?
答え:はっきりとはわかりません。てんかん素因があるのかもしれませんが、それ以外の特定の病因があるのかもしれません
2. 最良の治療はなんですか?
答え:睡眠、食事に気を配り、それ以外にも、てんかん発作を起こしかねないような要因を避けていただいて、そのうえで、薬を飲んでみてください。抗てんかん薬は何種類もあります。しかし、治療をはじめる前から、この薬が最良だと予測することは上可能です
3. なぜ、治療はうまくいっていないのでしょう?
答え:ところが、それが、よくわからないのです
4. いつになったら発作は消えてくれるのでしょうか?
答え:じつは、それも、よくわからないのです
これは、てんかんに関してもっとも権威ある学術雑誌、エピレプシアに掲載された総説の一節です。これが、最先端のてんかん学に身を置く人の密かなつぶやきなのです。実際には、世界中のてんかん専門医がこうした答えしかできなくてフラストレーションをつのらせています。もちろん、患者さんの方はもっと上安、上満を抱いてみえることでしょう。
こんなことは、たとえば、先ほど例に挙げた鉄欠乏性貧血の治療では考えられません。貧血の原因(鉄欠乏)も最良の治療(鉄補給)も自明ですし、治療は「うまくいき《、数ヶ月のうちに貧血は消失します。
これに対し、てんかんの治療では、最良の治療がなんであるのか事前には知り得ませんから、とにかくやってみるしかありません。もちろん、治療がうまくいくかどうかもわかりません。そして、数年たってもまだてんかん発作が続いていることだってありえます。
しかし、そうはいっても、てんかんの治療は格段の進歩をしてきたことも事実です。抗てんかん薬がほとんどなかった60*70年前には、てんかん発作を目撃する機会は今と比べて格段に多かったようです。前にも申しましたが、当時は、小学校などの教室でてんかんを起こす子が一クラスに一人ぐらいはいたのです。小児てんかんの発症率からいえば、たしかに、そうだったでしょう。しかし、いまは、80%とはいえ、てんかん発作をコントロール可能です。てんかん発作をみたことのある人はめったにいないだろうと思います(わたしの外来にかよってみえる患者さんでてんかん発作を目撃した中学生のかたがみえます。学校の教室で先生がてんかん発作を起こしたのです。てんかん発作ってこうなるんだと初めて知って、びっくりしたと話してくれました)。それなりの進歩はしてきているのです。
また、昔は、てんかんに罹患して、発作を繰り返すうちに知的に退行し、精神症状も出現、廃人同様となって精神病院などに収容される患者さんもいました。しかし、今では、そうした患者さんもほとんどみられなくなっています。その原因の一つは神経梅毒のようにてんかん発症とともに進行性に痴呆が進む病気がなくなったためだと思われますが、一方で、薬物治療によって発作のコントロール可能がある程度可能になったことも大きく寄与していると推定されます。ブロムがてんかん治療に使われるようになって一世紀半、フェノバルビタールが20世紀初頭に抗てんかん薬として現れてから約90年、てんかんの治療は着実に進歩しています。その進歩は今も続いています。てんかんの治療が鉄欠乏性貧血の治療と肩を並べる日がくることも十分期待できます。
3. 静岡てんかん・神経医療センター・情報センター:てんかん豆辞典
(てんかん発作介助、海外渡航のアドバイス、成人難治てんかん、てんかん外科治療の適応と手術成績など、てんかんにかんするさまざまな情報かわかりやすくコンパクトに解説されています。この文章を書くにあたってもずいぶん参考にさせていただきました)
6. 井上有史、西田卓司 日本てんかん学会ガイドライン作成委員会. てんかん治療のExpert Consensus.てんかん研究 2004;22:128-39
7. Karceski S. et al The expert consensus guideline series: treatment of epilepsy. Epilepsy & Behavior 2001;2 (Suppl) : A1-A50)
8. 丸山博 編 ケトン食の本:奇跡の食餌療法. 第1出版株式会社、2010
10.Guelpa G、 Marie A. La lutte contre L'epilepsie par la desintoxication et par la reeducation alimentaire. Revue de Therapie Medico-Chirugicale 1911, 78:8-13
11.Geyelin HR.. Fasting as a method for trating epilepsy. Med Rec 1921;99:1037-9
12.Wilder RM. Effects of ketonuria on the course of epilepsy. Mayo Clin Bull 1921;2:307-14